うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ 木下龍也 岡野大嗣 著

うだるような暑さのなか中途半端にダークサイドへ堕ちるくらいなら、この短歌集に埋もれてしまえばいいと思う。だって、おもしろいんだもの…。
リズムも季節感も目に浮かぶ景色も自意識過剰さも固有名詞選びも、まーセンスのある人のやることと言ったら。
7月の1週間のできごとが一冊になっているので、暑いなかで読むのがいい。やさぐれてると、ふてくされてると実はちゃっかり生きたがっている自分があぶり出されちゃう、そういう感じが実に暑苦しくていい。いい感じでさめてひんやりしてくる。
生きることは、暑苦しいことだからなー。恥ずかしいってことは、イキがいいってことだもんなー。

 

それにしても、なんでどうして男子高校生の設定の短歌がこんなにも中年女に沁みるかね。
というか、うまいんだよな…。記号を使いこなす技術がすごい。

(ぼく/きみ)のからだはきっと(きみ/ぼく)に(ふれ/ふれられ)るためだけにある

このカッコと斜線の使いかた!

 

 

プロフィールに書きたいことがなにもないことを書きたいことを書きたい

エクスキューズの意向だけは示しておきたくて、でも口に出そうとするとおかしな日本語になっちゃってることを察知して呑み込めるか否か。これ吐きだしちゃうと社会的な評価が大変になっちゃう時代だから、呑み込むのだいじ。というところに、今を感じる。ざわちんにマスク取ってほしくなかったーって思ったときのことを思い出させる効果がわたしの中ですごかった。

 

 

神は僕たちが生まれて死ぬまでをニコニコ動画みたいに観てる

わたしが雨の日に駅のツルツルの床で滑ってハーフ・ハヌマーンアーサナみたいになったことだって、「ちょww草生えるwww」とか言って見てるんだシヴァは。


いろんなシリアスがちょっと軽薄に取り逃がされていておもしろい。
もともと「バガヴァッド・ギーターはいきなりシリアスに読まずに、まずは短歌集みたいに読めばいいのよー」と伝えたい時の事例がいつまでもサラダ記念日じゃヤングに伝わらんじゃろと思って現代の短歌集を読んでみたのだけど、めちゃくちゃ進化してた…。

 


わたしの中で少年と中年がアメリカンクラッカーのようにカチンカチンとエンドレスのぶつかり合いになったのはこれ。

目をそらし話をそらしファミレスのこのひとときを弱火で生きる

そうだよそうだよまったく…
と思ったあとに声に出して読んでみたときに気づく、うまさ。
こういう、しゃれの効いたのに気づいてウキッとなるとき、わたしはおじさんになったのだなと思う(おばさんだけど)。なんで中年になると、以前よりも笑点大喜利のようなものに興奮するのだろう。40代からダジャレに萌える芽が出る、そういう種を意識のなかに植えられている感じがする。

 


めちゃくちゃヨガっぽいのもありました。

ぼくであることに失敗したぼくを(だれ?なに?だれ?)が動かしている

このカッコ内で表現されるタット・サット感!

 


聴覚だけでなく視覚も刺激してくる。短歌すごい。マントラやシュローカもいいけど、短歌は笑えたりしちゃうのがいい。

 

玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ

玄関の覗き穴から差してくる光のように生まれたはずだ