うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

あなたを選んでくれるもの ミランダ・ジュライ著 岸本佐知子(翻訳)

こういう本が出版される国、出版できる国が自由の国なのかな。読みながらずっとそんな思いが並行して歩いていました。取材する権利、される権利、感じる権利、内省する権利、発表する権利。当事者同士が納得していても「弱者の気持ちがわからないのか。誠意を見せろ」と当事者以外の人間に言われ「それにしてもなぜあなたに誠意を見せなければいけなのだ」というコミュニケーションが成り立たない「社会」もとい「世間」では、同じ土地で生きる人の心の内を書いたこういう本を読むことができない。それは、似たような暮らしぶりの人としか心のやり取りができないということでもある。


この本はすごい。とてつもないところまで切り込んでいる。仕事で成功をおさめ結婚をし、新たなプロジェクトに取り掛かりながらも自分は35歳だから子どもを産むなら急がなくてはと焦っている女性が、無職の独身男性の暮らしぶりを取材しながらその中にわきおこる感情を吐露する。もともとはその人の姉を取材したのだけど、弟のほうに会いたくなってわざわざ会う。そして以下の思いに至るのだけど、その前後の行動と差別感情の内省がすごい。

もっと不幸だったりもっと悲惨だったりする人は他にもいたけれど、いっしょにいて、彼ほどいやらしい優越感をかき立てる人はいなかった。

著者は取材の後、その男性の部屋にあったカレンダーを見つける。文字の書かれたカレンダーの写真を見て、わたしは泣けてきた。「Today is my Birthdate Im 45 years old an old man.」と書いてあった。<45才になった もう年よりだ>と訳されていた。わたしはさっき泣けてきたと書いたけれど、泣いてない。ところで泣けるって、どんな感情だろう。よくよく考えるとこれは外部へのプレゼンテーション用の感情であって、実際そんな感情はない。これは日本様式の外向けの感情。自分の感情はガチガチに凍らせてあるからこのくらいのエピソードでは解凍されない。


この本はやっていることがえぐいのに反省も同じくらいする。この作家はものすごく性格が悪いのだろうけど、ものすごく成功するだろうし愛されもするだろうし多くの人に生きる希望を与えるだろうと読みながら何度も思った。「コンビニ人間」という小説を読んだとき、おっとずいぶんなところまで切り込んだねしかも芥川賞なんだね日本も変わったねと思ったものだけど、あくまで小説の世界。あれはあくまでフィクションとして発表されたもの。この本のミランダ・ジュライのようなやりかたは日本ではちょっと想像できない。今でもこれは事実風のフィクションなのだろうと半分思っている。どう反応していいのかわからない。


わたしは「情弱」というワードをおそろしいと思っているのだけど、この本は "情弱 of 情弱" とも言える人々を取材していく。ネット社会になってもまだ残っていた、ポストに投函される "売ります" 情報を載せたフリーペーパーに個人情報を載せている人に電話をかけて訪ねていく。eBayを使わない人たちだからネットを使わない。だから電話。その人たちは安価で写真も撮らせてくれるしあんなこともこんなことも話してくれる。

きっと著者は他人に話をさせるのがうまい。ちょっとした同調にも誠実さがにじむ。相手もどんどん話す。歌うのが趣味だといいながら話がすぐに飛ぶ人がいるのだけど、こんなふうに相づちを打っている。

わかります。歌のうまい人って、感情を歌に託すのがうまくて、それってほんとに才能ですよね。

ていねいだ。そして相手はこの直後に全く違う話をする。その流れで話し手の身勝手な生きかたが透けて見えてくる。この相手の人の会話の日本語訳が絶妙で、いるーーー!こういう人!となる。


まるで12色の色鉛筆のような一冊の本。その箱としての「ぺんてる」みたいな「ミランダ・ジュライ」。この人は作家というよりもひとつの表現のブランドといえそうな、そういう格別にストレートな視点の筋力がある。ただ自虐が多めの自伝のひとつでは片づけられない、天国も地獄も描ける色鉛筆ブランド。
なんかアメリカってすごいのねー、と、ポップでおしゃれな部分だけを切り取って記憶しようとする小さな脳内抵抗がいまわたしの頭の中で起こっている。露悪的なものなら見慣れてる。でもこのミランダ・ジュライの表現はけっして露悪ではない。そのカテゴリには入らない。むしろ逆。この角度からの切り込みには心の準備ができていなかった。こういう正直さに免疫のない日本人は多いだろうと思う。

この本はなにかへのワクチン注射のように機能する。この先つながりすぎるくらいあけすけにつながっていく世界で生きていくうえで重要ななにかへの耐性を与えてくれるのだけど、読めば読むほど自分の殻に閉じこもりたい気分にもなる。でも開いていきたくもなる。読んでよかった。

あなたを選んでくれるもの (新潮クレスト・ブックス)

あなたを選んでくれるもの (新潮クレスト・ブックス)