うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

母という呪縛 娘という牢獄  齊藤彩 著

どの書店でも目立つところに置かれているので、気になっている人の多い本ではないかと思います。

2018年に医学部を9浪した娘が母親を殺害した事件のノンフィクション作品。

もっと後で文庫になってから……と思っていたのですが、よくよく考えると「物」としてこの本を持つのはなんだか気が重く、Kindle版のセール中にえいやっと買って読みました。

 

「物」として持つことをためらう本を、わたしは電子で買います。電子書籍のいいところって、こういう面が実はあると思っています。

この感情は、母親を殺した娘が遺体をずっとリビングに置いていた理由を語る部分と反対の意味で似ているような気がして。

この本を読んだ自分という状態が手元に残る感じが、まさに一種の呪縛のよう。

反対の意味で似てるって、「似てない」んじゃないの? と思うかもしれないけれど、そういうことじゃないんです。呪縛というのは理屈じゃないから。

 

 

ニュースで見ただけではわからないことが書かれているのはもちろんなのだけど、読んでみると思いのほか淡々と読める本で、異常性の描写で刺激を煽らないよう抑制されています。

どうして母親が娘にこのように接する人物になったのか、その連鎖はさらにその母親との関係性にあり、もう少し前の時代であれば、娘を医師と結婚させることにその執念を向けていたのではないか。そんなふうに思いながら読みました。

 

殺害された母親は、自分の母親が実の父親とは結婚せず、アメリカ人軍医と結婚したことで生活が羽振り良く変わったことに大きく影響を受けています。幼い頃から自分の中で自分の置かれた状況を納得させるために、選民意識を育ててきた。

 

 

この本は「かわいそう」という感情を煽ってきません。

それはライターさんの努力によるところもあるけれど、以下の理由が大きいです。

 

1)娘は周囲に助けをしっかり求めた

2)娘は何度も逃げ出そうとかなり頑張った

3)娘は就職活動をして内定をとり、自分で人生を変えようとした

 

 

1は、父親もそうですが学校の先生の立場を思うと、相当苦しんだだろうと思います。

助けようにも、現代のルールで踏みこめる範囲がむずかしい。

2は、学校の先生を頼って逃げても、母親が私立探偵を雇って尾行をつけ、連れ戻してしまいます。

3は、母親が内定をくれた会社に内定を断ってしまいます。

かわいそうというよりは、「もう無理だろこれ・・・」という感覚で読むことになります。

 

 

この本は取材者のライターさんのほうが取材対象者よりも若く、ログが残る時代のノンフィクションってこうなるのか、と思う内容です。LINEのログもあるし、庭で娘が靴下姿ばきのまま土下座させられている動画も残っています。

 

 

苦しい話ではあるのだけど、ずっとこう思いながら読まされることになります。

 

 

 

  これは、自分で喜びを見つけない人の人生の話だ

 

 

 

殺害された母親は漠然と、ただ「みじめな立場になりたくない」という気持ちで、対象である娘に何かのエネルギーを注いでいく。まるで「喜ぶ」という機能が欠落したまま生まれてきたかのよう。だけど、何かのエネルギーはある。

ディズニーが好きでテーマパークへ出かけたりしてはいるけれど、それは「楽しみ」であって「喜び」ではない感じ。

 

 

娘側の取材材料で成り立っている本なので、母親側の同世代間で感じる価値観の描写などはありません。

母親の友人が最後のほうに少し登場しているのだけど、殺害された後に娘が母親になりすましているやり取りの中で登場するので、見えてこない流れになっています。

この連鎖は根深いなと思いながら読みました。