うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

「おもてなし」という残酷社会 過剰・感情労働とどう向き合うか 榎本博明 著


わたしも以前、同じように一瞬おかしいと感じたことが早い段階で書かれていて、いっきに読んでしまった。
それは、病院や図書館で "ありがとうございます" と言われる瞬間。わたしの場合、病院でそれを言われると「なにか加点稼ぎのトラップにひっかかったのだろうか…」などと考えてしまう。言うのがおかしい設定と思う場面で "ありがとうございます" と言われると、つい余計なことを考えてしまう。おもてなしなのかリスクヘッジなのか詐欺なのか区別がつかないほど接客態度が複雑。そんな社会で迷える子羊のわたしにぴったりの本でした。
まえにジェーン・スーさんの「今夜もカネで解決だ」を読んだときに、接客について同じようなことが書かれていたのだけど、わたしもマッサージはちょっと接客が雑なくらいのほうが安心します。でもそれは、マイノリティなのだろうか。わたしは「この人いつかキレやしないだろうか…」と思うような店員のロボットさ加減にたまにドキドキすることがあるし、それはそうなる気持ちがわかるからこそドキドキしている。なので、ていねいすぎないほうが安心する。
以下のような記述は、痛いほどよくわかる。

 これまで顧客の評判がよく、模範的とみなされていた従業員が、突然、顧客に対してキレたりすることがある。あるいは、いつでも笑顔の対応が売り物の、非常に感じのよい従業員が、電池が切れた人形のように無表情になり、上の空で対応するようになることがある。
 こうした事例は、まさに対人援助職にありがちなバーンアウトの姿といってよいだろう。
(第2章 あらゆる職業が感情のコントロールを強いられる社会へ 感情のコントロールを失わせるバーンアウトという現象 より)

わたしはバーンアウトいう自覚はなかったけど、「電池が切れた人形のように無表情になり」と書かれると、過去に2箇所の職場でこの経験がある。そのくらい、わりと普通のことだと思っていた。



以下も、反吐が出るほどではなかったけれど、身に覚えがある。というよりも、自覚できていなかったこと。

「客が何だって言うんだ!」
「店員は奴隷じゃないぞ!」
「取引先がそんなに偉いのか!」
 と叫びたいのを必死に堪えて、ニコニコ、へらへらしている自分に、反吐が出るほどの情けなさを感じたりする。そういう「お客様第一主義」によるストレスを溜め込んだ人が、職務を離れ、今度は客になると、職務中に抑圧していた怒りが一気に込み上げてきて、ちょっとしたことで怒りを爆発させてしまうのであろう。
(第5章 過剰・感情労働時代のストレスとの付きあい方 客となってストレスを発散する社会 より)

わたしはクリープハイプが好きなのだけど、なんで好きかといったら上記のような感情を代弁してくれる曲がいくつかあるからなんですよね…。「苦汁100%」という本に、ラーメン屋さんで怒りを抑えられなかったエピソードが出てくるのだけど、その話を思い出しました。



インドにはバガヴァッド・ギーターという聖典があって、「はたらけ」と鼓舞してくれる。でも日本にはそれがない。
そのかわりに、こういう感じでくる。

 一億総活躍社会などといったキャッチフレーズが聞こえてくる。この「活躍」というのがじつに曲者だ。
 過大な要求を突きつけられて、搾取されるような働き方を強いられているのに、あたかも「自分のため」に働いているかのような錯覚を与える。
(第2章 あらゆる職業が感情のコントロールを強いられる社会へ 一億総活躍社会というトリック より)

わたしはここ数年で、表に出ない個人的なつながりを重視するようになっているのだけど、イメージとしては「暗躍」。個人的に信頼する誰かのために暗躍するような働き方をしないと、四方八方から寄りかかられ吸い尽くされるような感じになってしまう。そしてスカスカになる。バーンアウトするというよりも、精神的骨粗しょう症みたいになる。なのでそれを避けながら泳ぐ知恵として、自分なりに働き方は常にチューニングしていかねばならないなぁ、と思う。


この本は末尾に、そういうメンタルにならないための対処法があって、「リフレーミング」というのが出てきます。
ここを読みながら、「お客様は神様です」というのをインドの神様にしてみれば「あー、すごい憤怒の相だわ」「いけにえが、必要なのかしら?」ってことにできるな…、などと考えている自分を思い出しました。わたしはもともと、そういうふうに考えるところがあるんですよね…。「いけにえになって徳を積む」とか「サンドバッグになって相手の余剰エネルギーを発散させる」とか「犯罪抑止に役立ったかもしれない」と考えたりする。
でもなるべく、我慢した自分を褒めないようにしています。徳を積んだと考えるほうが、我慢を遂行できなかったときに自分を責めすぎずにすむから。


わたしは「おもてなしの強要」もひとつの心の戦争のかたちと思っているので、たまに「すごい戦術だなー」というのを見ると、その成分を分解したくなったりします。
接客は世代ごとに温度差もあるから、歓迎されない客にならないように注意しなくちゃな…。


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