以前書いたアルコールに依存しかけていたかも…の話に続いて、読書会からの話題を再び。
「この小説は、身体感覚の描写がすごいですね…」という感想をもった人が、主人公の女性が高校生のときに同級生の男子の家に行き、玄関でうまく靴が脱げなかった場面の発汗が、「わかる…」とおっしゃる。
以下の場面です。
いつもは簡単にとれるストラップの留め金が引っかかってうまくサンダルが脱げなかった。指先に集中して小さな器具をみつめたまま身を屈めていると、急に噴き出してきた全身の汗が顔を目がけて逆さに流れ込んできて、鼻先から汗の粒がぼたぼたと落ち、玄関にいくつも黒い染みをつくった。
理由をうかがうと、
細かな部分に気持ちがいっているときにうまくいなくて、心の乱れが噴き出して汗も噴き出す感じが、よくわかります。
ひとつの部分が気になったまま、思ったようにいかないまま進んで、やっぱりうまくいかなくて、「ああっ」となるところが。
とのこと。
ありますねぇ、こういうこと。
このときわたしは「自分の意識は細かくなっているのに、外部環境は進んでいく流れがあるときに、なんか毛穴が開いたりしませんか」という話をしました。
ひとりで細かいことにこだわっていればよいときはそうならないのだけど、自分をとりまく流れがもっと別の方向へ向かっているときに、そのギャップのありありとした感じや、その差を埋められない状況に追われてパニックになることって、ありませんか? わたしはけっこう、あるのです。
以前はそれを恥ずかしさ(煎じ詰めると自尊心)によるものだと思っていたのだけど、いまは「ギャップをつきつけられている状況に対する身体の抵抗」とも感じます。
毛穴を開いて、頭をクールダウンさせよう
身体のほうが、羞恥心に火がついてパニックになった頭を冷やそうとしてくれている?
頭でコントロールできる範囲よりも、自然に起こる反応のほうが、隅々までよくプログラムされているのでは。
いまはこんなふうに汗をかくたびに「頭だけでコントロールできると考えるだなんて、なんて愚かな」という気持ちになったり、やりどころがなくオタオタする自尊心に対しても「でも大丈夫。いま毛穴チームのみなさんが風を入れてくれるから…」と、少しだけ「焦り」と距離をとれるようになりました。
そして「あの…、毛穴チームのみなさんの仕事ぶりにはいつも感謝しておるのですが、こう、なんというか、ぐわっといきなり開くのではなく、もう少しジワッ、ジワッと開いていただけると…」みたいな交渉もできるようになりたい。「ひとり組織力」を、もっとあげていきたい。(なんて欲深いの! わたしったら)
心と体温と毛穴の関係って、おもしろいですね。
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