うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

とにかく遠足が憂鬱だった(「大人の遠足」ヨガメニュー由来)

わたしは小中学生のころ、「遠足」が憂鬱でした。この経験が、わたしのヨガ・メニューの由来になっています。
これまでは東京と関西のヨガクラスで練習に入る前にたまに話していたのですが、もう聞き飽きてきた人も多いので(笑)、いつもの話に加えてもう少し細かく書きます。

「遠足」が憂鬱になる理由は、いくつかありました。


◆「班」などを決めたりするときに、疎外感を感じた
わたしはベビーブームの世代で、10クラス以上あったと記憶しています。
友達はゼロではありませんでしたが、同じクラスにはいないということがよくありました。ふだん孤独に慣れていたため、そのためだけに所属する場所を探すというのはたいへんしんどい。営業のようなことをしなければならない。とにかく「班」とか「集まってなにかをする」というのが憂鬱でたまりませんでした。(だからといってそれがトラウマという感じはしていません。そうしたくなければ「そうしないですむアイデア」で変えていける自由がある大人の社会はありがたい。子供時代には戻りたくないと感じています。)



◆「特別ルール」に興奮できなかった
おやつは「大学いも」と「歌舞伎揚げ」が好物のツートップで、たまにお客さん用の「ルマンド」「ハッピーターン」が食べられるとキャッキャするという食生活をしていたわたしに、「遠足のおやつの代金の上限」というゲーム的要素を含むキーワードは「まったく刺さらない」ものでした。とにかくその儀式についていけませんでした。おやつは大学いもとフルーツにして、遠足のおやつ用に明示された代金を貯めて雑誌を買いたいなぁ、と思っていました。今でも「便宜上そうしておくことで盛り上がる」みたいなルールは苦手です。



◆水筒の中身なんて黙ってりゃわからないのにと思っていた
水筒は水を入れるから水筒だと思っていたわたしには「麦茶を入れる」という発想がなく、「麦茶、それいいな!」と思っていたところに「ポカリはジュースか」という議論が起こり(ジュースだろ!・笑)、「この人たちの欲は、わたしのはるか上を行っているのだな」と子供ながらに感じていました。そう思うと、ヨギの素質が少しはあったかもしれません。



◆家が山に近く、「流れ解散」以前の地点に家があった
遠足は当然「山」へ行くのですが、帰路の流れ解散地点以前にわたしの家があるということがよくありました。わたしの家は、スキー場のリフトが動いているか(吹雪でも営業 or NOT)がわかるほど山の近くにありました。担任の先生が変わるたびに、先生に「あのあたりに家があるから、ここで帰っていいか」とお伺いを立てるのですが、「最初の流れ解散ポイントまで付き合え」という先生もいれば、「うちこさんは、ここで帰っていいですよ〜」と人前で言う先生もいて、どちらにしても嫌だと思っていました。「ここで帰っていいですよ〜」「えー! うちこちゃんち、どこなの〜」みたいなことが起きてからは、なにも言わずに「最初の流れ解散ポイント」まで行き、戻るようにしていました。



などなどのことがあり、わたしにとって遠足というイベントは、とにかく「面倒なことがいっぱい」。自然と戯れたことや景色なんてひとつも覚えていないのですが、それでも、これだけは覚えています。



 家に着くと疲れ果てて、
 その日のさまざまな憂鬱や不機嫌はどうでもよくなって、
 玄関に倒れこむように帰って寝て、
 起きたら爽快。



毎年繰り返すと、さすがにアホのうちこちゃんも学習します。
わたしはこの「憂鬱」が「爽快」に変わったときの経験と記憶をそんなに大切にしていたわけではないのですが、ヨガをするようになって沖正弘先生の本を読んでいた頃に「余剰エネルギー」という言葉に触れ、「遠足あとの、あの感じのことだ」と思いました。「面倒なことがいっぱい」でありつつも、「山へ登る」という運動がタマスとラジャスを処理してくれていた。
わたしはあの頃の遠足と同じような感覚を、ヨガの練習で得ています。



(今日の話は、わたしが「大人の遠足」という名前のヨガクラスの冒頭でお話するコンセプト【前説】を、詳述したものです)