うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

あなたははらの底から真面目ですか(夏目漱石「こころ」読書会での演習より)


アーサナのクラスで「読書会って、どんなことをしているんですか?」という質問があったので実例をご紹介します。
今年から「読書会」の形式でインド思想やヨーガ周辺のこころのはたらき用語を学ぶ演習を始めました。講座ではありません。対話型での演習です。関西(京都・神戸)でキックオフし、東京でも開始しました。インドの聖典のほか夏目漱石グルジのテキストを使った演習も運用を開始し、その初回が終了しました。
「こころ」を課題図書とし、早い人は1ヶ月半前からとりかかった事前宿題「いまのあなたに刺さった "先生" のセリフとその理由」をもとに演習をしていきいます。「こころ」といっても、サンスクリット語ではチッタ、マナス、アハンカーラ、アートマンなどたくさんあるので、「これはチッタか? アートマンか?」「その根拠は?」「こっちの立場から見るとどうだ?」という話をしたり、宿題で選ばれたフレーズをキーに分解していきます。


その日は5つの演習をしたのですが、演習のなかのひとつを紹介します。
(海外・遠方のかたは通信教育の問題のような気分で読んでください)
※「こころ」を読了していない人は読まないほうがいいかも。




選定されたセリフ:「あなたははらの底から真面目ですか(上・三十一)」


選定者の理由の一部にあった【「真面目」さは、自分が自分自身へ誓う言葉であり、「先生」のように、過度に他人に求めるべきものではない。】という指摘をきっかけに、こんな演習問題を作りました。


お題:このセリフをほかの言葉に言い換えるとしたら、あなたならどう言う?

「先生」のところに「書生さん(ヤング)」がやってきて、先生の心が溶け始める場面での会話。
先生はこの小説の中で何度もヤングに "なにか" を確認しようとするのですが、そのキーになるのがこのセリフです。
(ちなみに「こころ」のなかで「真面目」という語は20回も登場します。「精神」よりも多いです)




参加者さんたちの回答

  • あなたは私を裏切りませんか? 一生従順でいてくれますか?
  • あなたは秘密を守れますか?
  • あなたは信用できる人ですか?
  • あなたは私を助けてくれますか?
  • あなたに話しておきたいことがあります。
  • あなたは私の話すことを、ジャッジしないで聞いてくれますか?
  • あなたは純粋ですか?


ちなみにわたしも回答を用意していたのですが、わたしの場合は「君、ボクのこと好き?」です。



「先生」はいまで言えば嫁もちニートのような生活をしている人ですが、ヤングに「先生」と呼ばれ慕われることで「こころ」が溶け始めている。ヤングから承認を得て開き始めたこころのつぼみが「もう少し開きたい」場面での発言です。こころを開くときに必要な材料が、このなかに詰まっていそうですが、なかでも「助けてくれますか?」が鋭いところをついているのではないかという話をしました。



ゆるゆるとやっています。




わたしはマイナスの思考に引っ張られる気がするときに、いつも「釈迦に説法」という本の33ページにあったこれを思い出します。

周囲の冷淡さを非難する前に、自分が心から「助けて」と言ったかどうか、そちらのほうを先に気にすべきだと思う。


このとき先生はヤングに承認される過程で自主的に「助けて」と言いそうで言えない、惜しいところまで来ていたのか、もっと別の意味があったのか。
心理的にも物理的にもミステリーの多い作品ですが、演習を通じて自身が定義する "なにか" をあぶりだす。「真面目」ってナンダヨ。という曖昧な定義を、自分が誰かに押し付ける側になって考えてみることで、自分が見えてくる。
むずかしいのは「信用できるか」「純粋か」という問い。ここには行動の指針がない。いっぽうで「裏切らない」「一生従う」「秘密を守る」と言われたら心が開けるというのも、場合によってはあぶない。暴君になってしまう可能性もある。「好き」ならOKというわたしはテキトーすぎる。「ジャッジしないで聞く」「話しておきたいといわれたことを聞く」は、カウンセリングの基本とも言われたりする。



人が心を開くフラグを立てるのには、これだけバリエーションがある。
こころには多様性がある。あたりまえなのに、多様性がないことにしたいときがある。


先のセリフのちょっと前に(上・二十八)で

悪い人間という一種の人間が世の中にあると君は思っているんですか。そんな鋳型に入れたような悪人は世の中にあるはずがありませんよ。

と言っていた先生は、ヤングが「一種の真面目な人間」として存在し得ないことを知ったうえで、それでも「はらの底から真面目ですか」と問うてしまうのです。「曖昧すぎてワカンネー」というのがヤングの素直なところなのでしょうが、日常会話ってこんなことばかりじゃないですか? サンスクリット語のマナス(よく「意識」と訳される)の説明の難しさは、まさにここにあります。
インド思想を学んでいると、ものすごくたくさんのこころの働きの定義が出てきます。曖昧な日本語感覚でいきなりインド哲学を学ぶのはちょっとハイジャンプすぎるので、漱石グルジの力を借りてみました。


▼関連補足