うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

みんなとエブリワン

わたしは人が「みんな」という言葉を使うとき、これはとても日本的な言葉だと感じる。
いいときは「和」なのだけど、わるいときは「同調圧力」であり、さも総意であるかのようなムードでカジュアルに使われると、とてもタチがわるい。
英語は、エブリワンとエビバデがある。どちらも楽しげである。エビバデとなれば、かなりノリノリである
たぶん、every の個のつぶつぶが集まった状態というのが視覚化できるからだろう。



わたしは「"体育会系"って、ヤンキーよりちょっと本読んでるってだけでしょ」というスタンスなので、属する組織やコミュニティの中で不機嫌そうに見られることも多いけど、ほんとうに「みんなでやる」ことに意味があると思っていることは、儀式として定義したらいいと思っている。そこを「宗教っぽい」というワードで逃げているようでは、ヤンキーと大差ない。「これは儀式なのでやってください」といえない関係や設定そのものから逃げていては、きっといつまでもむなしい。



最近、「みんな」という言葉を思考の中からなくしていくだけで、ずいぶん健康になれるのではないかと思うようになりました。
たとえば、漠然と「みんなはどう思っているんだろう?」と思うときも、固有名詞をあげていったほうが、誰になにを確認しておけば次に進めるのかが明確にできる。確認しようと思ったら、質問をまとめることになる。行動予定も立つ。まさにリアライゼーション作業。
やっぱり言葉は人の思考を創るものだと思う。自分が自分に向ける言葉も慎重に扱わなければいけなくて、これはすごくむずかしい。
他人とのコミュニケーションは、ときにマニュアル的な常套句に乗って逃げておけばいいこともあるけど、自分が自分に向ける言葉が同じような言葉使いになってくると、きっとつらい人生になってしまう。日本語は主体性を棚上げしやすい非常にトリッキーな言語なので、なにかに違和感を感じたら逐一自分と対話してみる癖をつけていかないと、思考の言葉に呑みこまれてしまう。




「みんなはどう思うかしら」よりも、「every one はどう思うかしら」のほうが、人のつぶつぶ感がある。そのほうが、極端な思考や偏りからひとつ抜けたところで事態を観やすい。
「日本語の呪縛」のようなものに気づくと、けっこうラクになることが多いです。