うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

under controlのこと

わたしがヨガの話をするとき、いつも頭の片隅にあるのは「それぞれの背景」の違い。
たまに読み返す、親方にもらったテキストにあった「Patience」という項目を見て、昨年の中盤くらいからじっと見つめていることがあります。とにかく辛抱しろというそのテキストの中には「それぞれがそれぞれの道(やりかた・考えかた)で学んでいることを理解し」とあります。
個人の性格や性質、感じ方の違いは、ほかの社会・組織・コミュニティでもあることだけど、ヨガの話をするときには大きな単位で気になる、インドとは圧倒的に違う前提。




 この国は宗教に権威がない




善い悪いの話ではないですよ。国家構造が違う。日本は自然崇拝の国に見えることもあるけれど、宗教国家ではなく、政治経済が先行します。五輪招致のプレゼンで、福島の原発の突込みに対して首相が「under control」と発しました。「なんとかできます。します」という感じの意味に聞こえました。周到に用意されていたなかのフレーズだと思うので、首相の感覚について話しているわけではありません。ここからは、ことばのはなしです。




震災の後にインド家族からメールが来て「生きてるよ」と返事をしたら、こんな返信が来ました。そのときのことは、リアルタイムで書いています(参考)。

Thank GOD !!!!!!!! Good to hear from you so fast about you and your mother too.
Don't be worried about at all. We prayed too and all will be under control soon, we hope for the best.

神に祈って under control を信じてると、そいういうときに使う表現だと思って覚えていたフレーズが、昨年の五輪招致のプレゼンで出てきた。
わたしの英語力がないだけの話かもしれませんが、あらためて「ああ、わたしはこういう場面でこの表現を用いる国でヨガの話をしているんだよなぁ」と思いました。ヨーガについてはまだ本気では語っていませんが、そのまえにあきらめました。




あきらめさせられた。……うーん、ちがうなぁ。
あきらめられた。……ちょっと近づいた。
明ら めた。……。うん、こんなかんじ。




「あきらめる」という言葉はもともと仏教の観念で「明らかに見る」というものであったのが、いまは断念・放棄という意味で使う言葉になったそうです*1




ことばによってあきらめた、明らかにされたこと。




「ことばがあらわす国家身体」を耳にして、「この国はいま、人間上位の国としてドライブされているんだわ」と感じました。この国家身体観はガンジーと正反対。
いまは東京にいるからなおさらそう思うのだけど、明治時代はこんな感じだったのかなと思うような、不思議なムードを感じます。夏目漱石がいま刺さってくる理由がここにある気がしました。ことばで伝えられることには限界があるのだろうけど、発することで明らかにされることから学ぶことも多い。わたしは去年の「The situation is under control.」というフレーズへの世の反応を見て、やっぱりバクティ的な支えがあったほうがいいよね各自、と思っています。

*1:中村元選集「日本人の思惟方法」 P171より