うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

道楽と職業 夏目漱石(漱石グルジのカルマ・ヨーガ講演)


結論から言いましょう。これはバガヴァッド・ギーターで説かれている「カルマ・ヨーガ」の教えの日本語版です。このテキストは1911年(明治44年)に兵庫の明石で行われた夏目漱石の講演を文章化したもので、ネット上でも読めますし、文庫本だと「私の個人主義」に収録されています。ちょっと、この口語調、たまらん〜。寅さんが「おいちゃんはネ」というのと似た語感で萌える〜。

そこでネ、人のためにするという意味を間違えてはいけませんよ。人を教育するとか導くとか精神的にまた道義的に働きかけてその人のためになるという事だと解釈されるとちょっと困るのです。人のためにというのは、人の言うがままにとか、欲するがままにといういわゆる卑俗の意味で、もっと手短かに述べれば人の御機嫌を取ればというくらいの事に過ぎんのです。人にお世辞を使えばと云い変えても差支えないくらいのものです。だから御覧なさい。世の中には徳義的に観察するとずいぶん怪(け)しからぬと思うような職業がありましょう。しかもその怪しからぬと思うような職業を渡世にしている奴は我々よりはよっぽどえらい生活をしているのがあります。しかし一面から云えば怪しからぬにせよ、道徳問題として見れば不埒にもせよ、事実の上から云えば最も人のためになることをしているから、それがまた最も己のためになって、最も贅沢を極めていると言わなければならぬのです。道徳問題じゃない、事実問題である。

最後の「道徳問題じゃない、事実問題である」が、ズシーンときますね。



要するに職業と名のつく以上は趣味でも徳義でも知識でもすべて一般社会が本尊になって自分はこの本尊の鼻息を伺って生活するのが自然の理である。

本尊をイーシュヴァラにしたら、そのまんまギーター。イーシュヴァラの鼻息を伺って生活するのが自然の理(笑)。このユーモアセンス、最高だ!



要するに原理は簡単で、物質的に人のためにする分量が多ければ多いほど物質的に己のためになり、精神的に己のためにすればするほど物質的には己の不為になるのであります。

マテリアル・ボディの利とスピリチュアル・ボディの利について語っておられます。



わたしの中では長年、ずっとカルマ・ヨーガの解釈においてはヴィヴェたんがアイドルであり、それは今も変わらないのですが、いまはものすごい勢いで漱石グルジがブーム。だって日本の社会に置き換えてくれているんですもの。
「なまこのような精神」とか「本尊の鼻息」とか、すごいギャグセンス。たまらんです。


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