インド哲学は「なんで自己や自我をあらわす言葉だけでこんなにあるの……」というのが面白ポイント。バリエーションは横並びで学べるのでそんなに疲れないのだけど、プルシャとプラクリティの話になるととたんにグッタリきます。各派や時代によってヴェーダのエッセンスの取り込み方や定義のニュアンスが違うのでね。
「これは運動神経的に学んでいくしかない、自分の言葉で語れるようになるまで素振りをしまくるもの」と、その思いは変わらず学んでいるのですが、またシヴァ・サンヒターの訳本から面白い箇所を見つけてしまいました。
「顕教の限界」を根底から吹き飛ばすような訳です。
シヴァ・サンヒターは冒頭でいろいろな思想を軽くリストしつつ、さて、正しい修行とはなんでしょうか。みたいな感じで展開していくのですが、リストの中に、「意識にはこの二つのエッセンスがあると信じる人もいる」として
Matter(Prakriti)and Spirit(Pursa)
プラクリティの訳をずいぶんガツンと振り切ったね、これはある意味気持ちよすぎるよ! 範囲指定も条件もなく、「Matter」。
Rai Bahadur Shrisha Chandra Vasu さんというかたが訳されてます。豆本なので、要約の潔よさが読んでいてとにかく面白い。
これは上手いなぁと唸るキャッチコピーを見たときのような気持ち。軽薄なのに鮮やかな感じがたまらない! 隙のない正しさという縛りから解放された人にしかない色気のようなものすら漂います。
「これは素地があるからできる芸当」ということがわかる人が少なくなってくると、なにごともつまらなくなるんですよね。そういう点で、インドは自由でいいなぁと思いました。こういうのをつつかない人ばかりだから、哲学もユーモアとともに日常の中にある。
そして、これをアニメでやる日本もステキでしょとインド人に説明したいのだけど、やっと「ドラえもん」が届いたくらいな現状が残念無念。
ちなみに、インドのドラえもんのぬいぐるみは
谷啓さん似のガチョンな品質です。