うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

出版ムーブメント 本の歴史とヨガの歴史

カッパ・ブックスのおもしろい広告
沖先生の初著作「ヨガの楽園」は古本で入手したのですが、そのなかに光文社カッパ・ブックスの当時の新刊案内が入っていて、この勢いがなかなかよい。出版ムーブメントのエネルギーがあふれ出ている。
澁澤龍彦氏の「快楽主義の哲学」もカッパ・ブックスから出版されたのだけど、当時澁澤氏がカッパ・ブックスから出すというのは「まさか」の衝撃だったようです。
というのがその本の「あとがき」に書かれていて、衝撃的に「大衆へ降りていった」という雰囲気がおもしろいので紹介します。


野中ユリ氏のインタビューコメント

澁澤龍彦さんの『快楽主義の哲学』が出たときには、あの頃はカッパ・ブックスなんかの全盛時代で、ああいうのは何か俗っぽいという感じが私たちにはあったので、ある人とふたりで "何でああいうの書いたの" って食ってかかったんです。そしたら "僕は学校の先生してないし、こういうこともやらなきゃならないんだ" みたいなことを、ちょっとおっしゃったこともありましたけどね。


■内藤三津子氏のインタビューコメント

それから別の意味で驚かされたのが、カッパ・ブックスの『快楽主義の哲学』です。(中略)カッパ・ブックスの編集者が来て。ここはこういうふうにしたほうが分かりやすいとかなんとかって、もうジャンジャン原稿に赤を入れるんですって。"ものすごいんだよお" なんて言ってらしたけど。ですから、あれは厳密な意味では澁澤さんの作品ではないわけですね。このごろ流行ってる、語り下ろしの本みたいなもので、澁澤さんがお話になったところの六割くらいを、編集部で作り直したというようなものなのじゃないかと思います。


このほかにも、澁澤氏の元奥様の書いた年譜から「カッパ・ブックスの書き下ろしを引き受けたのは、半ば、北鎌倉に新居を建築する資金の必要からであったという記述も見える」なんてものまで引っ張り出されています。この本は熱狂的なファンを抱える哲学者が1965年に刊行した著作。カッパ・ブックス版は初版で三万部、最終的には八万部売れ、いまは他の出版社から文庫化されて売れ続けている。
池田満寿夫氏はこの著者の作品がカッパ・ブックスから出ることに「これで我々の時代が来る」といい、三島由紀夫氏もこの状況を評価し推薦文を寄せています。



この方面で話を展開したい気持ちもちょっとありつつ、ここはヨガブログなので沖先生の話へ。

ヨガの著名人のなかでも沖先生は格段に著作が多く、出版社の幅も広い。当時の健康ヨガに対する関心へのニーズを一手に引き受けていたのだろうな、と思う。その出だしがカッパ・ブックス。最初がこれだったからのちに続いたのだとしたら、うちこはただただ、感謝するばかりです。
「ニーズ」とその「担い手」を見極めるプロと、それがうまくビジネスのフローに乗って、のちの市場を作っていく。というのがブームの源流にある。ベストセラーを作るというのはあざとい行為のように語られることが多いけど、それすらも呑み込んでまるごと社会現象であり、時代なのだなと思う。


沖先生の「ヨガの楽園」のまえがきには、こうあります。

 この本を書くにあたって、ともすれば書斎にひきこもって、仙人じみた生活をしていた私を、夜の都会の雑踏や、昼さがりのオフィス街に連れ出し、現代生活を味わわせてくれた「カッパ・ブックス」の副編集長、長瀬博昭氏と、編集長の新田雅一氏に、厚くお礼を述べたい。
昭和三十七年十月五日   沖正弘

沖先生には、野口先生のようなジゴロ感はないのだけど、こういうところがチャーミングなんですよね。



たぶん批判もあったと思うんです。ヨガをことさらに秘伝にしたい人とか、「ヨガじゃねーだろ。ヨーガだろ」とか、そういうのは当時からあったと思うんです。
そこでも、「ニーズがあるから形にする」という作業の舵取りを眈々とやる人たちいがいる。



 「売れて、いいじゃない」の「いいじゃない」は、その時だけの「いい」じゃない。



大衆化というものについて、深くいろいろと考えるきっかけになりました。
「快楽主義の哲学」「ヨガの楽園」を読むと、編集のプロって、すごいなぁ。と思うんです。発信者の言葉に中間者が赤入れしていく作業は、ポリシーとマーケティングのガチの試合で、そうとうかっこいい作業なのではないかと。いつからか、本をそういう背景まで含めて読むようになりました。
文章そのものや内容や背景を読みながら、「なぜこういう構成や表現に着地したのか」というところまで楽しめると、読書はとってもヨガ的なものになる。


世の中に情報は増えているけれど、ていねいに編集されたものを嗅ぎとる感度を大切にしたいと思うこのごろです。