うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

恋愛作法 愛についての448の断章 宇野千代 著

恋愛作法 愛についての448の断章
本格的なヨガ本を読むよりも、カタカナいっぱいの自己啓発本を読むよりも、ひとまずこれを読んだらいいんじゃないかしら。という一冊です。短い章立ての「うのちヨーガ・スートラ」。
小説の中のフレーズのようなものと、ドンズバで本人の弁としての章が織り交ざっているのもおもしろい。


女性にとっては間違いなくバイブルになるでしょう。そして男性も、これは読んでおいたほうがいいと思うんです。いろんな意味で。女って怖いな、かわいいな……、いやまてよ。俺はむしろ女なのではないか?!
もう性別の区別なんてない世界です。
この本のなかに出てくるキーワードのなかで、ヨギとしてはここが見逃せません。「恋愛の武士道」と「失恋体操」。ここでの紹介は、おおきく「恋愛の武士道編」「失恋体操編」に分けます。


うのちヨギ節(天風仕込み)は、やっぱりすごい。
まずは「恋愛の武士道編」から。

<62ページ 愛の礼儀 恋の作法 より>
 真の愛とは、いますぐに遂げるものではなく、また、どんなときにでも、相手をうっとうしく思わせないのが、「恋愛の武士道である」と言うのが、私の好んで使う言葉なのですが、あなたはどうお思いになりますか。

どうお思いになりますか?(笑)
わたしは、「うっとうしく、かつ離してくれないような人」には対応できないので、男に生まれなくてよかったなぁと思ったりしておりますよ。

<139ページ 愛の戒め 恋のタブー より>
 男に比べると、女の人の方が、道徳家らしい顔をするのが好きです。浮気も、嘘吐きも、結婚生活では、これは男に憑き物、と言うことになっています。生活範囲の狭い女の生活では、悪いことをする機会も少ないと言う訳なのでしょうか。私はいつも考えるのですけれど、女の人ももうちょっと、この「悪いこと」の内容を知っておく必要がある、と思うのです。

発言小町」が盛り上がる原理かも。素人ヒーラーみたいな人が増えてきて、道徳家では足りなくなったらこうなるのかぁ、というのを見るのに、たまに勉強になる。

<24ページ 恋の不可解 愛の不思議 より>
 私はこれまでに四回結婚しました。そして、四回とも離婚しました。四回も通った道ですから、あ、ここには危い崖があったな、あ、ここは深い川があったな、と言うことが分かっているのに、つい、そっちの危い方へ行きたくなってしまうのです。

かわいらしい。

<41ページ 恋の不可解 愛の不思議 より>
 私の経営していた二つの会社が倒産しました。私たちは追いかけて来る高利貸の眼をくらますために、場末の安宿に身をひそめました。「このときだな。人が首を吊りたいと思うのは」私はそう思いました。

はんぱない。

<59ページ 愛の礼儀 恋の作法 より>
 男の前で、男の働きとは別の金があることを見せたいのは、女の意地と言うものです。

女がかわいらしくいられた時代の「意地」かな。いまは逆に見せられない時代かもなぁ。

<60ページ 愛の礼儀 恋の作法 より>
 誰の心の中にも、自尊心と言うものは隠れている。この自尊心があるために、人と人との関係が、何となく、ぎくしゃくすることがある。自尊心と言うものが隠れている間は、何事も起こらないのに、一たび、ちょっとでも頭をもたげて来ると、面倒なことが起こる。そのことを知っている人は、そのとき、ちょっと自分の自尊心をよそへ持って行く。人の目につかないところへ、隠しておく。自尊心なんか持っていなかったような振りをする。それに巧く成功すると、人と人との間には、案外、何事も起こらない。自尊心をちょっとどこかへ隠す、と言うのは、何と言う便利なことであろうか。

このへんからスワミ味が出てきます。

<131ページ 愛の戒め 恋のタブー より>
「もしもし」と私のところへ、電話で問い合わせる人がある。「夫が恋人のところへ行って帰って来ないのですけれど」と言うのである。私の答えはいつも同じである。「追っかけて行ってはいけませんよ。ご主人のしていることを邪魔しようとしないでね。気持ちを転換して、まるで反対のことを、愉しいことをするんですよ。あなたがご主人を愛したからと言って、それで恩に着せたりしてはいけません。あなたはご主人を愛したことで、もう得をしたのですから」。しかし、私のこの勧告は、いつでも一ぺんでは成功しない、ただ、彼女が或るとき、忽然として悟ることがあるのを、私は信じているのである。

恋の聖者。

<147ページ 愛の戒め 恋のタブー より>
 彼と別れたのちの私は、別離によって受けた心の痛手のために、いくらか常軌を逸した心の状態にあったのだと思います。
とは言え、自分の失ったのと同じものを、人にも失わせてやりたいと思っていたのではないのですが、自分の失ったものに対するその深い悲しみを、人の平穏な生活を希(ねが)う気持ちに変えて行くまでに自分を導いて行こうとすることは難しいことでした。

「自分を導いて行こうとする」という表現がなにげに出てくる。こういうディテールを見逃したくない。あくまで自分ドライブなんです。

<152ページ 愛の戒め 恋のタブー より>
 お互いに自由な生活を認め合いながら、最後までよき理解者になり得るのが理想的な夫婦関係だという人がいる。そんなことはない。それは別れる前の男女の間で考え出される仮りの方便である。

この本のなかでいちばん切れ味を感じた一節。

<184ページ 男の本心 女の深層 より>
 自分の困っているときにだけ謙虚になる人間。

こういう一行だけのスートラが、ぽつんとたまに登場します。

<208ページ 愛の心理 憎しみの断面 より>
どうして女は、男の相手になった女だけを憎むのか。その女もまた、ほかの女と同じように、多くの口にはしない心情を持っていたに違いないと、どうして思わないのか。その女だけを憎めば、話がすむからだ。

宇野千代さんは女性なのに、野口晴哉氏が女性についてスパッというときと同じようなことを語る。女の愚かさをかわいい女性がバッサリ斬るのって、最強だよなぁ。

<221ページ 愛の心理 憎しみの断面 より>
 待っていることがあると思うのは、生きているのに希望がある、と言うことで、どんな人間にとっても、嬉しいことではないだろうか。

こういうかわいいのもあるんです。



さて。ここからです。
この本のすごいのは、ここからなんです。「失恋体操編」いきます。

<45ページ 恋の不可解 愛の不思議 より>
 人間はいつでも、心で考えるように、誰でも思っています。しかし、そうでしょうか。私は思うのですが、実は体で考えているのです。人間は動物ではなく、人間である。誰でもそう思っているものですが、実は人間と言う動物なのです。動物は先へ進むにも、あとへ退くにも、動物の持っているカン、動物の本能によって決定するのですよ。

語尾がかわいい。

<89ページ 失恋上手 別れ上手 より>
失恋による体の運動を、私は失恋体操と呼んでいますが、こうして、鳥か虫みたいになって体をよじって泣いている間に、実に不思議なことですが、何か体の中にあった固いしこりみたいなものが発散して、ケロッと失恋の虫が落ちてしまうのです。
 嘘みたいな話なんですけど、これはほんとうです。私はこの体操のお陰で、赤ん坊が思いきり泣いたあとみたいに、ケロッとしてしまうんです。「おや、あたし、何を騒いでいたのか知ら」と言うような気持ちになってしまうんです。

身体から、恋愛から、学びまくりの師匠。

<257ページ 育てる愛 支える愛 より>
 私たちはその恐怖によって、ものごとを測り間違えます。

ちょっとチャレンジングな動作を踏みとどまるとき、身体のなかで起こっていることを測り間違えさせるものはなにか。もう身体はできるといっているのに。そういうことって、あるんだよなぁ。


ぽつり、ぽつりと唐突に飛び出す身体論がたまらない一冊。

恋愛作法 愛についての448の断章 (集英社文庫)
宇野 千代
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★おまけ:宇野千代さんについては過去に読んだ本の「本棚リンク集」を作っておきました。いまのあなたにグッとくる一冊を見つけてください。