うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

バートン版 カーマ・スートラ ヴァーツヤーヤナ(著)/大場正史(翻訳)


ヨーガ・スートラが「心身の浄化と解脱と悟りと神通力の要件定義書」であるのに対し、これは「恋愛と結婚と性愛と大人の恋の要件定義書」。細かい状況別の章句が盛りだくさんなスートラです。
第二部の「性的結合について」の記述がすごいということで有名ですが、わたしは現代女性には第六部「娼婦について」がかなり深く刺さるであろうと感じました。女性がこういうときにどちらを選ぶべきか、どう考えるべきかという判断の天秤にかけられているコンテンツが、とてもリアルです。「妻の獲得について」「妻について」「他人の妻について」のあたりは、インドのこの時代なのでね、という前提を忘れてはいけない。昔の昼ドラみたいな世界です。
カーマ・スートラ(愛経)は、6世紀以前にまとめられて、10世紀以降にこれを下敷きにした書がたくさん生まれており、ヨーガの教典の盛隆とよく似ています。


<本そのものの体裁>

  • はじめに映画版の紹介があって、これがかなりいい。写真も素敵。
  • そのあとに、その女性映画監督(クール!)と中沢新一氏の対談がある。あとがきも中沢新一氏。
  • この本を読むと、インド映画の独特のジェスチャーが「カーマ・スートラ」に由来している感じが目に浮かぶ。

<文献アウトライン / この本にあった記述より>

  • 著者のヴァーツヤーヤナは西暦紀元1世紀〜6世紀の人。
  • ヴァーツヤーヤナ作のほかにも愛を扱った書がいくつもあるなか、「ヴァーツヤーヤナのカーマ・スートラ」は権威的な書となっている。
  • ヴァーツヤーヤナは、古代の諸権威の教えをまとめた抄約本。ヴァーツヤーヤナによれば、最初の性典を書いたのはナンディという男性らしい。
  • 古代の諸権威のなかには、ウパニシャッドでもおなじみのスウェタケツ(シヴェータケートゥ)も。彼がナンディの書の抄約をしたらしい。
  • そのほかにもさまざまな先人の解釈があるが、今日読めるサンスクリット性文献ではヴァーツヤーヤナのものが最古。
  • さまざまな先人の解釈もこの本にあり、「オレはこう理解した」というそれぞれの見解も読みどころ。
  • 「オレはこう理解した」がいくつも登場するなか、ヴァーツヤーヤナはかなり落ち着いた解釈をしている。
  • ヴァーツヤーヤナは修行者で、最後はベナレスで生涯を終えたらしい。
  • カーマ・スートラはいくつかバージョンか出ているが、これは「バートン版」というもの。
  • 各章の末尾に関連する諺が添えてあるのだけど、これはバートン版だからか。他のバージョンも読んでみないとわからない。

この本は、本題の「性にまつわる心理や作法、行動パターンのリスト」のほかに、いろんな人(愛の性典の解釈者たち)がいろんなことを言っている相違点も読みどころなので、いくつか紹介します。

  • 「いくら女を愛していても、長時間話しあわなければ、彼女を獲得することはできない」と、ゴータカムハーは言っている。(P111)
  • 宗教的な儀式、結婚式、市、お祭、劇場、集会などでの態度やしぐさから彼女の気持ちをたしかめたら、ふたりきりでいるときは、ためらわず彼女の肉体を愉しむべきである。ヴァーツヤーヤナも言っているように、女は適当な時期に適当な場所へ通ってくる恋人を拒まないからである。(P112)

女性のみなさん、どうでしょう?
背景として、インドの場合は「仲介者」のTODOまで定義されているくらい、周辺からじわじわ「まとめあげていく」くらいの勢いで男女がくっつくんですね。であっても、話は必要かどうかと。流れでそうなったときに、言葉は必要かと。こういうのが延々語られていたりする。ああおもしろい。



  • ヴァーツヤーヤナの意見によれば、容姿や身ぶりから性格を判断するのは不確実であり、行動、外に現われた思想、肉体の動きなどを判断の手がかりにするのがよいという。(P133)
  • ゴニカプトラは一般論としてつぎのように述べている。女も男も美しい異性を見れば、恋におちいるのが普通だが、さまざまな配慮があって、しばしばそれ以上には進まない。(P133)

こんなのがいっぱい出てきます。おもしろいでしょお。



  • ヴァーツヤーヤナは、男はできるだけ自分で行動すべきであり、女仲介者を利用するのは自分で行動できない場合だけにかぎるがよい、と述べている。(P140)

仲介者という役割がある社会でも、このヴァーツヤーヤナの恋愛至上主義っぷりがステキ! 「女と知り合う法と、女を獲得する努力について」という章には第三者もいる場面でモーションをかける方法(なんか死語だなこれ)などが書かれています。


  • ふたりの恋人のうちひとりは彼女を深く愛しており、もうひとりは単に気前がよいというだけの場合は、賢者たちによれば、気前のよいほうを選ぶべきだが、ヴァーツヤーヤナによれば、愛情こそ選択の基準にすべきであるという。なぜならば守銭奴でさえ好きな女のためなら金を惜しまないように、愛情さえあれば、いくらでも気前よくなれるものだが、単に気前がよいだけの男は心から女を愛するようになれないこともあるからである。ただし愛情だけあって、金のない男はもちろん敬遠すべきである。(P190)

冷静と情熱のド真ん中!。



  • 友人の頼みに応じるか、金もうけのほうを選ぶかという場合、賢者は金もうけを優先さすべきだと述べている。けれども、ヴァーツヤーヤナは、金もうけは明日でもできるが、友人の頼みはすぐにきいてやらねば、友情を失うおそれがあるという意見である。だが、この場合もやはり将来の利益を考えて判断をくだすべきである。(P192)

どこまでも冷静なヴァーツヤーヤナ。



どこを軸に感想を書けばいいやら、と思うくらい多岐にわたる内容を定義した奥義書であり、技術書。ウェブ上に目次のリストがなかったので、せっかくなのでタイプしておきました。
ちなみに娘とか少女とあるのは、昔のインドは少女の年齢(19世紀のラマクリ師匠の時代でも、奥さんは8歳で婚約)で結婚相手を決めていたため。(いまやこの名残が社会問題とされているけど)

諸言
序説

  • 第一部 ヴァーツヤーヤナ・スートラ
    • 序章:ダルマ、アルタ、カーマヘのあいさつ
    • 第二章:ダルマ、アルタ、カーマの習得について
    • 第三章:習得すべき技芸について
    • 第四章:市民の生活
    • 第五章:市民が足しげく訪れる女、友人、仲介者について
  • 第二部 性的結合について
    • 第一章:性器の大きさ、欲望または情熱の強さ、時間などによる性交の種類
    • 第二章:抱擁について
    • 第三章:接吻について
    • 第四章:爪による圧迫、またはしるし、またぱひっ掻きについて
    • 第五章:愛咬および各地の女に用いるべき技巧について
    • 第六章:態位と交悦の種類について
    • 第七章:愛打の種類とその適切な音について
    • 第八章:男性の役割を演じる女。男性の任務について
    • 第九章:口淫(アウパリシュタカ)について
    • 第十章:交合のぱじめと終わりについて、結合の種類と痴話けんか
  • 第三部 妻の獲得について
    • 第一章:結婚について
    • 第二章:娘に信頼される方法について
    • 第三章:求愛。身ぶりによる愛情の表現について
    • 第四章:男性だけがしなければならぬ事柄とそれによる少女の獲得。さらに、男性を手に入れて、わがものとするために少女がしなければならない事柄について
    • 第五章:結婚のある種の形態について
  • 第四部 妻について
    • 第一章:貞淑な女の生き方と、夫の留守中の彼女の行動について
    • 第二章:一家の中で年上の妻が夫の若妻に接するときの態度と、その逆の場合について。再婚した処女寡婦、夫に嫌われている妻、王のハレムに住む女などの行動について。大勢の妻に対する夫の行動について
  • 第五部 他人の妻について
    • 第一章:男女の特性について。女はなぜ男の求愛を拒むかの理由。口説き上手の男と、口説かれやすい女について
    • 第二章:女と知り合う法と、女を獲得する努力について
    • 第三章:女の心理状態を読む法
    • 第四章:仲介者の役割について
    • 第五章:人妻に対する権勢家の愛について
    • 第六章:王家のハレムの女たちについて。自分の妻を護る法について
  • 第六部 娼婦について
    • 序言
    • 第一章:娼婦が男を求める理由。好きな男を惹きつける法。娼婦が交渉を持ちたがる男のタイプについて
    • 第二章:娼婦が妻のような生活をする場合
    • 第三章:金もうけの法。恋人の心変わりのしるし。恋人を袖にする法について
    • 第四章:昔の恋人とよりをもどす法
    • 第五章:さまざまな利益について
    • 第六章:得失、付随的な得失、疑念、娼婦の種類などについて人を惹きつける法
  • 第七部 人を惹きつける法について
    • 第一章:装飾、他人の心を征服すること、媚薬などについて
    • 第二章:催淫法、さまざまな実験、処方について

結びの言葉

ここまで細かく掘り下げながら、どこまでも安定してクールなヴァーツヤーヤナ。かっこいい〜!
これを読んだら怒っちゃう女性も想像できなくないけど、差異と役割を追求していくことは差別ではないからね。
それよりも、性をどこまでもドライに見つめつつ、感情を持つ人体をとことん仕様書化するヴァーツヤーヤナの視点がたまりません。
(いくつか紹介します。仕様書のような書なので、そんな記法で)


<59ページより>
さまざまな愛の種類について
男女の道に明るい人たちの所見によれば、愛には四種類あるという。すなわち

  1. 継続的な習慣によって得られる愛
  2. 想像から生まれる愛
  3. 信頼から生まれる愛
  4. 外的対象物の知覚から生まれる愛

ほとんどは4番目のものなのですが、賭博などは1に入るそうです。



<124ページより>
男が妻の生存中に第二の妻をめとる理由は、つぎのとおりである。

  1. 妻が発狂したり、ヒステリーをおこしたりする場合
  2. 夫が妻を嫌っている場合
  3. 子宝に恵まれない場合
  4. 女の子しか生まれない場合
  5. 夫が淫乱な場合

最後の項目が(笑)。



<133ページより>
愛情の度合は十段階に分けられ、つぎにあげるような兆候で区別される。

  1. 見て惚れる
  2. 心を惹きつけられる
  3. 絶えず物思いにふける
  4. 眠れなくなる
  5. 痩せ衰える
  6. 享楽の対象から遠ざかる
  7. 恥も外聞もなくなる
  8. 気が狂う
  9. 失神する
  10. 死ぬ

いいのは、出だしの二つだけ。サマディーとサマーパッティ並みの段階分解。




以下は、男の子向け〜

<48ページ>
次にあげる女を楽しんではいけない。

  1. 癩病
  2. 狂女
  3. 姓(カースト)から追放された女
  4. 秘密を守れない女
  5. 交接欲を公然と口にする女
  6. 極端に色白な女
  7. 極端に色黒の女
  8. 悪臭を放つ女
  9. 近親の女
  10. 女友だちである女
  11. 禁欲生活を送る女
  12. 近親者、友人、学識ある婆羅門、国王などの妻

このあと、女友だちの種類もリストされています。




次は、女の子向け〜 章は「娼婦について」だけどね。

<169ページ>
つぎにあげるのは金銭をもらうだけを目的としてつきあってもよい人々である。

  1. 独立できるだけの収入がある男
  2. 若い男
  3. 係累のない男
  4. 王の家臣として権威ある地位についている男
  5. 楽々と生計をたてている男
  6. 確実の収入源を持っている男
  7. 自称美男子
  8. 自慢ばかりしている男
  9. 宦官のくせに、男性だと思われたがる人間
  10. 同僚を憎んでいる男
  11. 生来気前のよい男
  12. 王や大臣に対して発言権を持つ男
  13. いつも幸運に恵まれている男
  14. 財産を鼻にかける男
  15. 年長者の命令にそむく男
  16. 同じ階級の人々に注目されている男
  17. 金持ちのひとり息子
  18. 内心欲望をもてあましている禁欲家
  19. 派手好みの男
  20. 王の侍医
  21. 昔の知合い

美男子でも自称するような奴からは金とっちまいな! ということ?(笑) 「お金をとってもいい人」「金をとらなければつきあってはいけない人」の2種類が混在しているのがおもしろいですね。




次は、男と男の関係向け〜 「口淫(アウパリシュタカ)について」から

<89ページより>
宦官はつぎの八種の技巧を順に行なう。

  1. 形式交接
  2. 側咬
  3. 外圧
  4. 内圧
  5. 接吻
  6. 摩擦
  7. マンゴー吸い
  8. 鵜呑み

あらゆるシーンに対応したマルチな仕様書なの。
こういう具体的なのは、これでもほんの一部すぎるくらい、いっぱいあります。




女性の視点で、「そんなことないぞ〜」と思いながら読むのも楽しかったです。ひとつだけ紹介しますね。

<144ページ 第三章 女の心理状態を読む法 より>
 一度会った女がまえよりも美しく装ってふたたび会いに来たり、人気のない場所に会いに来たりするようだったら、男は少しばかり腕力を使えば、女体を楽しめるものと確信してよい。自分から男に口説かせるようにしむけておきながら、いっこうに体を許しそうにない女は、恋をおもちゃにする女と考えるべきである。だが、人間は移り気なものだから、たとえこのような女でも、絶えず親密な関係をつづけていれば、ついに征服することができる。

確信しちゃだめだから!(笑)  女性は、インド人には特に「ぶっちゃけ、しぶしぶ対応しています。楽しんでいません」と言わんとだめよ(笑)。そうするとね、そこから「楽しみはあなたのなかから出てくるものだ。僕には関係のないことだ。それをなぜ僕に言う?」とかいって哲学攻めしてくる男もいるので、そういうときは、哲学の先生に出会えたと思って思いっきり問答してみましょう。



ヨガ友で恋多きおねいさんは、やはり「ヨーガ・スートラは読んだことないけど、カーマ・スートラは読んだことある」とおっしゃってました。
ヨーガ・スートラばっかり読んでる場合じゃなかった!