うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

バスの中でうなる女性

今日は有給休暇をとりました。本年度は思い返すとあまり休んでいなくて、未行使の有給休暇がまだ30日近く残っている。近隣のメンバーに「休めるときに休んでね」と言いつつも自分がコレじゃあな、と思っていたのと、ずっと頑張ってきた同士が戦線離脱せざるを得ないバランス不調に陥ったのを見て、休むと面倒なんだけど(そもそもこの思考がいけない)休んでみました。


祝日と休日の合間で会議がないことに気づいたのが直前で、急に「休んどけ」という展開になっても予定はなにもなし。というわけで、贅沢にヨガをしました(平日の昼間ってのが、はい)。


バスで移動をしていたのですが、平日の昼間に街の様子を眺めると、発見がいっぱいです。いつも軍隊製造シェルターの中で修行をしているんだなってことが、よくわかる。(戦略が変化する、都度意思ある軍隊なら、それもよい修行)


とても暇そうな、眼鏡店の男性店員を見る。
すると・・・
この働き盛りの男のエネルギーがよくない方向に振れないように、なにかこういう時間にも集中できる生産活動はないものだろうか、などと考えてしまう。


お茶を飲みながら本の転記をしていると・・・
普段は会わないような人がいっぱいいる。息抜き(ということで、はい)をしている働き盛りのサラリーマン風の人もいっぱいいる。


帰りのバスで・・・
「社会生活上での言動において、バランスを崩してしまった人」が乗ってきた。都会で暮らすようになって、電車やバスでたまにこういう人に出会う。時には駅員さんよりも細密に電車がホームに入ってから発車するまでの指差し確認をする人やアナウンスを完コピする、一芸を持った人にも出会う。


今日出会ったその人は女性で、あとで顔を見て驚いたのだが、自分よりもずっと年上の人だった。失礼だが、声と後ろ姿、服装を見る限りでは完全に男子高校生くらいに見えた。
彼女はずっと、三つのフレーズを不定期にうなっていた。
そして、混んでいるにも関わらず、頻繁に席を移動したり歩いたりする。
せっかく座った席であろうに、彼女が近づくと席をはずす人がいるので、行動範囲はどんどん拡がっていた。


彼女はずっと、以下のフレーズを大きな声でうなっていた。


 もう我慢ができないよぅ〜


 やりたくないよぅ〜


 もう無理だよぅ〜


覚えてしまった。
しばらくすると、彼女はうちこの前の席に移動してきた。二人がけの席で、隣には先に老紳士が座っていた。ハットをかぶり、コートを着た、70歳は超えているであろう紳士だ。


彼女はそこで、また言った。


 もう我慢ができないよぅ〜


すると、老紳士が言った。


 なら降りれば?


すると彼女は間髪いれず、驚くほどはっきりとこう言った。


 違う!


あまりの人格の変化に、とても驚いた。
さっきまでの人とは別人で、ものすごくハッキリとすばやく、そういったのだ。


ずっと、いろいろなことを思いながら二人を見ていたのだけど、しばらくすると老紳士が彼女に話しかけた。

 
 いつもどこで降りるの?


また彼女はハッキリ答えた。


 ○○小学校前


でも彼女の口調は変化していた。あきらかに、さっきの「違う!」のときとは違うのだ。驚いた。


うちこが二人を見ているときに気がついたのは、この老紳士が他の乗客とは違って、彼女の存在を認識していることを、彼女に対してまっすぐに表現していること。
彼女が何かをうなると、目を向けるのだ。


 寄り添っている


そう、偶然隣に座って寄り添って、特にリアクションしてたくさんかまうわけでもなく、でも避けない。


老紳士が降りるとき


 わたしはここで降りるから。あ、ちょうど信号が赤になったね。どいてくれる?


彼女は素直に従った。
そして、また以前の彼女と同じ行動を続けた。


うちこはこの老紳士を、お医者さんじゃないかしら? と思ってしまったくらいだ。そのくらい、みるみる彼女のこころが溶解していく。
三年かけてやっとおでこが床に着く開脚前屈の道のりのような、性質としてはそんな感じだ。
そして彼女のあまりにもハッキリとした受け答えと三つのフレーズの関係を思う。


 ものすごく、自分にきびしく頑張ってきた人なのかもしれない


昨日の本の紹介のコメントにも書いたけれど、うちこは日々、「よくわからないことを言う人」に、いとも簡単に腹を立ててしまう。そしてこれは、かなり昔からそういう性質を持っていたと思う。
学生の頃から、テストの前に


 ぜんぜん勉強してなくってさ


という同級生にも、「なんでわざわざ口にするんだろう」と思っていた。いい点を取りたいなら、完全攻略スタイルででも臨めばいいし、そうでなければ黙って済ませればいいのにと思ってしまうのだ。


大人になってからは、ある意味仕事上ではこれが「やさしい」と評価されることがある。


「ぜんぜんまとまんなくってさ」
「着地の方向はいくらでもあるだろうし、光の当て方しだいのところもあるからね。行き詰っちゃったんだ。ちょっと狙う要素を見せてみ」


こんな展開から、最終的に「あなたがいなければこれができなかった」と言われたりして、「まあそうはそうだけど。行動したのはあなたなんだから、あなたがやった仕事ですよ」と思う。これは、好転の例。
仕事だと思うから、できるのだろう。「そんな無駄なことにコストを使われちゃ困る」というのもある。


 カルマ・ヨーガ


今日の老紳士のそれは、「そんな思念に "自然の力" を使われちゃ困る」ということなのだろうか。


 


寄り添ってたなぁ。みごとに。
なかなかできることじゃない。


歳を重ねながらできるカルマ・ヨーガが、この先まだまだたくさん用意されているのだ、ということをその老紳士から教わった。
そして、「仕事と同じようにやってみたらいいんだ」という大きなヒントもいただいた。


今日やすんで良かった。