きつい。きついけれど、読んでおくことでかなり現実社会で役立つ。このお爺さん、まさか本気でそんなこと要求してこないよね…、ということをじゃんじゃんしてくる。77歳でも年齢は関係ない。「発芽する人はする・顕現するものはする」という言い方をわたしはよくするのだけど、発芽・顕現と年齢は関係ない。まさにそういう話でした。
老犬だってそりゃ目の前にものすごいお肉を置かれたら、老犬なりにガルルルとなるのであって、いやこのお肉は隣の牧場のあの牛さんですヨといっても老犬のバイタルとは無関係。そりゃそうなのだ。
── ということを、長く、とても読みにくい文体でユーモラスに、なぜか読むことをやめられない展開で綴られる。結局最後まで読んでしまった。
読みながら、この老人に対してとても残酷なことをたくさん思い、そしてそんなことを考える自分が自分を高く見積もっていることを認識する。この、あるものをないことにしたいという感情については、事あるごとによく考える。近所に切り裂きジャックみたいな人が出たという超ローカルニュースをキャッチしても、そのような思考が起こる。
自分の安心・安全・心の平穏のために「この人は、そんなことを思うはずがない」と思うことは、わたしはどこか不思議と感じたりするのだけど、近所で明るく挨拶を交わす人に対して「とはいえこの人も展開によっては犯罪を起こしたりもするのだろう」と考えることのほうが一般的には失礼ということになる。でも人間は動物だから、いつもバッチリ理性コンディションが万全! というわけじゃない。
この小説の世界は、根底から湧き上がる欲求をないものとして接することが敬意という世界ではない、ものすごい家族愛の物語。
なんかすごいのを読んじゃったなという気がした。この本は、リアルお爺さんにはかなりきつい内容じゃないかな。うんちくを垂れようにも言葉選びが難しすぎる。
「痴人の愛」については語りたくても「瘋癲老人日記」については語りたくないという年配の男性って、いるんじゃないかな。もしわたしがお爺さんになるなら、どちらも同じくらい語れる男になりたいと思うけれど、それを自分よりも若い女性の前で話せるかと言ったら絶対に無理な気がする。
ウチコオ爺チャンハ、イクジナシデス。
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