うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

ババジと18人のシッダ―クリヤー・ヨーガの伝統と自己覚醒への道

マーシャル・ゴーヴィンダン・サッチダナンダさんという、長いお名前のヨギさんの著作です。
ババジというのは「父」という意味を持つので、そう呼ばれる人はいっぱいいるのですが、このババジさんは「あるヨギの自叙伝」に出てくるババジ師です。ビートルズの「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド(Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band)」のジャケットにもしれっと登場しています。
クリヤ・ヨーガのサイトでは、「『あるヨギの自叙伝』で有名となった不滅の大師ババジに関する、初めての信頼できる伝記を収録しています。」と書かれています。

全体の流れは、第一部でインド古代のお話、「ババジ・ナガラジ」ほかシッダたちの伝記が語られ、第二部ではプラーナ・ヤーマやマントラ、精神面でのクリヤー・ヨーガの科学的な技法について、第三部でアーサナ、第四部で著者さんの自伝、という構成。巻末に用語集があります。

第一部で、以前より関心のあった「シュリー・オーロビンド」師についての記述が多かったのは収穫。中谷美紀さんの「インド旅行記〈2〉南インド編」を読んでいたときから、ずっとこの教えに興味があって。「オーロヴィンド(下唇かむほう)」で検索していたから見つからなかったのか、と。
第四部では、著者さんがヨーギー・ラマイヤ師につきながら、すったもんだに耐え忍ぶ修行伝がとってもリアル。普通のお仕事とヨギであることを両立する話のめちゃくちゃ壮絶版、といった感じです。サラリーマンヨギでありながら、志の高い会社の歯車さんは、「俺なんてまだまだ」と思えるから励みになりますよ(笑)。

いつもの心のメモの前に、先に表題の18人のシッダさんたちのお名前を紹介しておきます。以下の人々について、すべてが詳細に語られているわけではありません。

 ナンディー・デーヴァル
 アガスティヤ
 ティルムラル
 ボーガナタル(この書では、この人は「老子」)
 コンカナヴァル
 マッチャムニ(マティセーンドラナート)
 ゴーラクナート
 サッタムニ
 スンダルアナンダル
 ラーマ・デーヴァル(ヤコブ
 クダンバーイー
 カルヴッラル
 イダイ・カダル
 カマラムニ
 ヴァールミーキ
 パタンジャリ
 ダンヴァンタリ
 パームバッティ

何人かお名前を聞いたことがあるシッダさんたちがいらっしゃいますが、有名どころでは、ハタ・ヨーガの開祖といわれるゴーラクナートさん、アシュタンガの初めのお祈りにもお名前が出てくる「ヨーガ・スートラ」のパタンジャリさん。老子が「ボーガナタル」さんというヨギであるという説は、アメリカ人よりも老子に親しみを持っているであろう日本人にはびっくりな説です。


今日はちょっと長くなりますが、心にメモしたかった箇所を紹介します。

<123ページ 『ティルマンディラム』の教えの真髄 より>
「肉体が死に至ることは魂にとっての悲運である。これ(死)によって、確固としての真の英知を得ることが遠のくからである。故に我は体の養生法を学んだが、体を養うことは、すなわり、魂を養うことに通じる」(『ティルマンディラム』第724節)

ティルムラルさんが書いた本の引用紹介です。「英知を得るための乗り物として肉体があり、乗り物を運転したり、メンテナンスするように肉体をコントロールする練習をしているんだ」ということを日々のヨガで感じるのですが、それと似ているなぁと思いました。

<149ページ 中国人の肉体へ入り使命を果たす より>
あるときカランギ・ナタルは、穏遁生活に入って3千年間をサマーディの状態で過ごすことを決めた。彼は自分の布教活動を引き継がせるために、タミル・ナードゥにいるボーガナタルにテレパシーを送り、中国へ来るように命じた。ボーガナタルは交易路をたどって船で中国へ渡った。中国にたどり着いた後に、ボーガナタルはシッダ科学のすべてについてカランギ・ナタルから教えを受けた。(中略)彼は使命の遂行を容易にするために、志望した中国人男性の肉体へ自分の生気体を移して、以後は「ボーヤン」(Bo-Yang)と名乗った。(中略)ボーヤンは「老子」の名でも知られるようになり、以降、約200年間にわたって人々を指導した。

日本人にとっては、歴史の教科書で「老子」さんがとっても身近で、ヨガよりも先に知っているお名前ですから、読んでいて不思議な感じでした。今さら「ボーガナタル」さんて言われてもぉ、と。

<181ページ 「秘密」を求めて より>
オーロビンドはこの地上において真の生活を指向するのではなく、まさに[生命]そのものを対象としている」(Aurobindo,1976,p101) さらに彼はこう述べている。「マインドが人間の気質を劇的に変え得なかったことは明らかである。人間が作り出す制度を永遠に変え続けることもできるだろうが、その中から不完全さを払拭することはできないだろう・・・必要なことは、下降する力に抗するだけではなく、それを克服することができる別の力である。(Satprem,1975,p228) オーロビンドはこの隠れた「別の力」を「秘密」とか「心(マインド)を超えた意識」(Supramental Consciousness)と呼んだ。

これは、仕事の面での日々の学びの支えになりそうな言葉です。わたしは嫌われ役に徹しなければいけない場面が多い仕事をしているのと、人のマインドは変えられない難しさの中にいるので、「それを克服する力」こそが修行であるなぁと。

<190ページ 変容の第3期 より>
オーロビンドのアシュラムは、すべての階級に属す個人、男女、子供に対して開かれた、各種の創造的な活動を行う場として作られた。オーロビンドが掲げた目的を達成するための主要な場は現実世界の中にあった。オーロビンドはこう述べている。「ヨーガの力を使って普通の生活をする者こそ、最も力強く霊的な人生の営みを見ることができる。・・・こうして内と外との生活が統合されることによって、やがて人類は力強く、聖神な存在へと高められていくのである」(Aurobindo,1950[b],p10)

インドを放浪していたお友達の話によると、オーロビンドのアシュラムの制作物は良品として評価されているそうです。よい仕事をすることの教えと、ヨーガが統合して語られているところにグッときます。

<204ページ クリヤー・ヨーガ より>
「クリヤー」(Kriya)はサンスクリット語で「行為」を意味する「クリ」(Kri)と、「気づき」を意味する「ヤー」(Ya)に由来する。「クリヤー」とは「気づきを持って行う実際的なヨーガの技法」を意味する。

「浄化」という意味かと思いきや、こうゆう意味があったのですね。

<206ページ クリヤー・クンダリニー・プラーナーヤーマ(呼吸法) より>
人に見られる最も基本的な生理現象の一つに、左右の鼻腔による呼吸の定期的な変化がある。通常、人は左右いずれかの鼻腔で呼吸をしているが、これは約3時間毎に入れ替わる。こうして人は体の平均体温を一定に保っているのである。

ヨーガ大全」にも、時間の記述に違いはあるものの、同様のことが書かれていました。

<225ページ クリヤー・マントラ・ヨーガ より>
マントラ」の「マン」(man)は「思考する」を意味し、「トラ」(tra)は「守る」や「解放する」を意味する「トライ」(trai)という語に由来する。すなわちマントラは、習慣的な性癖(サンサーラ)の束縛から人を解放するためにある。大半の人間は習慣的な性癖に縛られているが、これに代わるものとしてマントラを唱えることで、こうした性癖から解放される。習慣的な行為にエネルギーを注ぐ代わりにマントラを唱えると、エネルギーは後者に向うために、習慣は徐々にその力を失う。マントラを繰り返し唱えることで、洞察力を曇らせる怒り、貪欲、情欲といった欲望を取り除くことができる。いったん欲望が取り除かれて浄化された心は、ちょうど鏡が現実を明瞭に映し出すように、高次の霊的な真実を映すようになる。

唱えるという行為については、ささやかな気づきがあります。
ひたすらにリズムを一定に保ちながら声を出しているだけなのだけど、すごく集中力を使うし、不思議と心が落ち着きます。これは、いつも不思議だなぁと感じます。


この本にはアーサナの紹介があり、すでにここで書いているポーズもいくつか該当しているのですが、それは今後の「ポーズについて」で、関係するところがあれば書いていこうと思います。
最後に余談ですが、インドの「お父さん」の呼び方って、かわいらしいですよね。わたしがホームステイしたおうちでは、お父さんを「パタジ」と呼んでいました。


▼追記:2021年に再読しました
uchikoyoga.hatenablog.com