高野山へ行くので、そのまえに空海さんにちなんだ本を読み漁っています。
この本の中盤、瞑想法に触れるあたりは思いっきりヨガ本です。チャクラの説明や五字厳身観の解説のあたりなどはとても興味深く、日本人としてヨガを行じることで、これまで苦手だった日本史もほんの一部だけ(めちゃくちゃピンポイントですが)深く学ぶ機会を得たのは本当にありがたいことです。
今回も、いくつか引用紹介します。
<49ページ 「花ひらく中国密教」より>
楊貴妃とのロマンスでわれわれにも親しい玄宗の開元年間(712〜741年)に、インドから新たに伝えられた密教は、教義、実践の両面にすぐれた体系を具えており、以後、中国の密教は、この種の密教によって主導されることとなった。宋代の仏教史家たちも、この最も密教的に洗練された密教を、「新密教」、もしくは「瑜伽」と呼び、従来の広義の密教(密呪)とは明確に区別している。日本の密教に決定的な影響を与えたのも、実にこの時期の中国密教にほかならない。
中国の歴史にもっぱらうとい(楊貴妃といえば、ライチでしょー。という程度!)うちこなのですが、ちょっと興味を持てますね。
<84ページ 「"速時成仏"の主張」より>
空海も、中国から帰国した当初は、中国密教で流布していたこうした「速時成仏」の主張を取り入れて、帰朝報告書である『請来目録』では、以下のように述べていた(現代語訳)
従来の仏教を中心とした顕わな教えが、三劫という無限の長い時間をかける成仏への修行を説くのに対し、密教は、金剛界四仏を取り囲む各四菩薩、すなわち十六大菩薩の徳性をその見に具えることを目的とします。成仏の遅速と勝劣は、あたかも神通力による速さと、足の不自由な驢馬の遅さと似ています。
よりよきものを求めて努力するかたよ、願わくは、この意図をさとってください。
つまり、空海の意図するところを汲みとると、密教は、従来の大乗仏教と比較して、身体と言葉と心という三種の行為形態(三密)を統合した全身的行法をそなえているので、三劫という無限の時間を要しなくても成仏できるというものであった。
仏陀も最終的には苦行に意味のないことを悟った人ですが、「身体と言葉と心」の三点セットが空海さんの最大の特徴であり、惹かれて止まぬ要素であります。過去の概念を破って理解しといたほうがいいってことをわかってもらいたいとき、「願わくは、この意図をさとってください。」 さとっての使い方が……オトナ!
<210ページ 「衛門三郎伝説と八十八ヵ所」より>
衛門三郎は伊予の国の豪族であったが、冷酷無慈悲な男で、弘法大師空海のさとしにも耳を傾けず、かえって暴力を振るうありさまであった。その結果、仏罰によって八人の子供たちを次々と失った衛門三郎は、はじめて罪の意識に目ざめ、かつて手をかけようとした空海に巡りあって贖罪するために、四国八十八の寺を巡礼したという。そして、とうとう阿波の山奥の寺十二番の焼山寺のふもとで行き倒れたが、幸い臨終の間際に弘法大師が現われて、罪を許され、来世は伊予の国主河野家の子として生まれ変わったという。
昔はこういう生まれ変わり逸話みたいなのが、インドみたいにたくさんあったんですよね。
この分野に興味のある人、ヨガと仏教の関係に興味のある人向けの本でした。