うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

21世紀のインド人 カーストvs世界経済 山田和 著 

インド本の読書が続いております。この本は2004年の本。ビジネスの現場を通じてリアルなインドが描かれています。
うちこはインド人とビジネスをしたことはないのですが、インドに住むお友達との関係や、インドへ行ったときの出来事から、たしかに・・・と思うことがたくさんありました。これまでに読んだインド関連の本で読み知りしたことも、ビジネスの場面ではこうなのか、と思うことがいっぱいです。いくつか、引用して紹介します。

<106ページ「ビジネスパートナーへの遠い道のり」より>
管理者がするのは、あくまでもマネジメントだが、インド人はそのマネジメントができない。なぜなら、管理者は多くの場合上級カーストで、現場労働者は低カーストかアウトカースト者であるからである。管理者はそのような現場に近づくことがない。このような状況では物を作ることが極めて難しい。

日本の企業でも、能力評価といいながらも事実上はそうではない暗黙の現状があったりしますが、それに以前にもっと生々しいこの現実。この本を通してモチベーション自体が発生しようがないシステムにいろんな場面でげんなりします。


<136ページ「インド人社員、使用人とどうつき合うか」より>
世界で最も商魂逞しいあの華僑がインドに決して近づかない。中国人が経営するチャイニーズ・レストランも見かけない。そのことは、インドがどのような社会であり、どのようなマーケットであるかを明瞭に物語っているように思われる。中国人が入らない世界は、世界広しといえどもインドだけなのである。

ヨガ道場の生徒仲間が、「インドだけはチャイナ・タウンがないのよね」と話していたことを思い出しました。


<196ページ「『プログラマー』に憧れる子どもたち」より>
中間層を含むインドの八、九〇パーセントの人びとにとって、私たち日本人が耐久消費財だと考えている多くの商品は、今のところ永久消費財と見なされている。

これ、インドに行くとあちこちで感じます。「ボディ面積の約7割を占めるこのガムテープをはがしたら走らないだろうなぁ・・・」と思うスクーターに3人乗りしていたり。ナンバープレートが半分手作りみたいな状態の車も。「使い倒す」の感覚が違いすぎます。


<204ページ「夢をもてる者ともてない者への分裂」より>
彼らの多くは自分や一族が一財産を築いたりいい暮らしをすることには熱心だが、インドという一つの国に対して大いなる夢をもち、その基盤となる社会構造の変革に興味をもっているようにはあまり見えない。誰しも不満はあるものだが、不満の質にはグレードがある。志の低い不満もあれば志の高い不満もある。夢とその実現への努力についても、自分のため、家族のため、国のため、人類のためという四グレードがある。問題は、志の高い不満、あるいは志の高い夢をもてるかどうかである。

「問題は、志の高い不満、あるいは志の高い夢をもてるかどうか」。


<232ページ「旅日記」から>
インド人の九九は19×19まである。そんなこともあってか、数学的能力に長けているインド人が多い。さすがはS・A・ラーマヌジャン(三十二歳の若さで夭折した20世紀初頭の天才数学者)を生んだ国である。

私の友達のインド人も、異常に計算が正確で早い。頭の中でインドルピーに変換しておつりをバックするのとか、手打ちの計算機でも追いつけないくらい。立方体の絵を描きなさい、というと展開図を描く子供が多いというのを以前別の本で読みましたが、インド人の頭の構造は非常に興味深いものがあります。



このほかにも、友人に「僕は日本で働けるかな」と執拗に日本進出の手助けを求められたり、「そうそう、そうなのよ・・・」と思うことがいっぱいありましたが、日本に住むインド人のヨガ師匠にはあてはまることはありませんでした。もう師匠は完全に日本のカルチャーで生きているのだな、とあらためて思いました。たぶんインド的メンタリティからうまくスイッチできずに日本から失脚するインドビジネスマンもたくさんいるのでしょう。この本にもそんな例がありました。中国人すら舌を巻くこのインドの現状は、興味はあるものの、やはりせつない面が多いです。