うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

善悪の彼岸へ 宮内勝典 著

少し前に読んだ『世界のエリートはなぜ「美意識」を鍛えるのか? 経営における「アート」と「サイエンス」』のなかにこの本からの引用があり、気になって読みました。
読んでみたら、この視点での追跡をずっと求めていたと思う内容でした。

 

地下鉄サリン事件の頃、わたしは起こったことを理解できないポカンとした学生でした。それを理解したのは、東京に出て働くようになって、霞が関周辺の土地勘がついてからのことでした。

30代になってからヨガを知り、心身の変化を感じたあとに、あらためてハタ・ヨーガの教典を読んでから、さらにいろいろ気づくことがありました。

 


この本では空海の時代まで遡ってそれを紐解いています。
わたしはずっと、こういう振り返りと分析を読みたかった。

注目した要素がいくつかの章に点在していたので、以下の4つについて書きます。

 

唐へ渡る前の空海と、日本で知られている密教

この本には、平安時代に日本に伝わった密教の教えが、なぜその暗黒面も包括的に掘り下げられずにきたのかという視点があります。

 空海が唐の長安で恵果に学び、密教を持ち帰ったのは八○六年であった。空海が帰国したのち中国密教は急速に滅び、インド、チベット、中国、そして日本という流れも消えた。日本仏教は飛び地となった。情報も絶えた。その後、タントラ密教は過激なほどエスカレートしているのだが、そうした時期の文献は日本には存在しない。
(第13章より)

真言立川流が存在していたとはいえ、この本で紹介されているタントラの教義を知ると、立川流はずいぶんマイルド。

 

空海は知っていたのだ。知識・情報としてではなく、流浪し、室戸岬の洞窟にこもり、山の山岳を歩き、飢え、おそらく女性も愛し、密教の本質をすでに体得していたにちがいない。
(第14章より)

著者の推察のように、空海がすでに性愛を経験した状態で経典の伝授を受けているとすれば、最澄に対して「このお経(理趣経)だけは貸せない」と断った理由もわかりやすくなる。
漠然と「日本にはもともとあちこちに陰陽石とかあるし、性愛が信仰の中に含まれても空海は驚かなかったんじゃないか。だけど、自己抑制してきたエリート僧は危ないと思って理趣経を貸さなかったのだろう」と思っていました。

なので、ここに書かれていた著者の視点がわたしにはとても鮮やかに見えました。

 

 すべてをマーヤーとみなす離人症めいた思想が、さほど抵抗なく日本に受け入れられていったのは、自然にそっくりだと感受されたからだろう。空っぽの空間を満たしているのは、ただ自然への畏怖感だけだ。それが、ぎりぎりの倫理だった。ブッダが、老子が、空海が、道元が、すべては仮象であると物理性すれすれのニヒリズムを説きつづけているとき、暗黙のうちにそれを支えていた倫理も、やはり自然への畏怖感であったはずだ。私たちは根っからの無心論者である。生まれついてのニヒリストである。一なる神などなくても、へっちゃらで生きていける。山川草木に神が宿るのだから。
(第27章)

「私たちは根っからの無心論者である。生まれついてのニヒリストである。」というのはとても重要な指摘と思います。

インドの神話と哲学を学ぶようになってから、わたしは前提条件としてここを大きく感じています。


この本では上記の点を踏まえつつ、無神論的宗教観のなかで仏教が存在している日本史社会の中で、麻原彰晃が最終的に利用したタントラ密教の教義が紹介されています。

 

 

タントラ密教に込められたルサンチマンを転用利用した麻原彰晃

著者は麻原彰晃がマハーヤーナ(大乗仏教)を捨て、これからは「タントラ・ヴァジラヤーナで行く」と宣言したきっかけは『秘密集会タントラ』という経典にあったとにらんでおり(第17章)、引用しているだけで気が滅入ってくると言いながら、その説明をされています。

 この経典が成立したのは八世紀頃であった。仏陀の死後すでに千年以上が過ぎて、仏教は衰退しかかっていた。だから人びとを引きつけるために、当時、人気のあったタントラ思想を取り込んでいったのだと考えられている。おそらく社会底辺の人びとを、信者獲得の対象にしていたのだろう。だから民衆の生活習慣と結びつく儀礼、原始的なまじない、巷をうろつく行者たちの呪法などを取り入れていったはずだ。
(第18章)

この部分を読みながら、二年前に読んだ、チベットブータンで活躍した僧侶の伝記を思い出しました。

上記の本は、内容がどぎついです。露悪的などぎつさが連なっていた時代があることがわかります。

 

 

92年に麻原彰晃が有名大学を講義して回っていたこと

先にも書きましたが、わたしはオウム真理教の事件をニュースで見てはいたけれど、東京の地理も通勤路線網も知らなかったので、その規模や危険度を理解したのは30代を過ぎてからです。

有名大学の学生が信者になっていったというのは知っていましたが、この本を読んで1992年に37歳の麻原彰晃が以下のスケジュールで各大学で講演をしていたことを知り、驚きました。(第24章に書かれていました)
  

こんなスケジュールが組める時点で、かなり注目を集めているのがわかります。わたしにはそこがどうも想像できない。
イメージ的にもっと上の世代の人が信者だと思っていたけれど、『約束された場所で―underground 2』にも、自分と同世代の信者の人が登場していました。

自分のなかで地下鉄サリン事件を「あれは都会で起こったこと」にしようとしていたけれど、時代だけ見たらめちゃくちゃ自分に関係がある。

 

著者は1944年生まれのかたで、この本は2000年の出版です。ご自身が50代の頃に若者を救えなかったという気持ちを強く持っていることが、全編を通じて感じられます。

 

 

マインド・ビジネス先進国のアメリカと日本の違い

著者はカリフォルニアに住んでいたことがあるかたで、その視点での解説に、アメリカの作家の本を読む時に感じたことのあるギャップを説明してくれる、読書の感覚を楽しくしてくれる要素がありました。

ナタリー・ゴールドバーグ、エリザベス・ギルバート、ミランダ・ジュライなどのユニークな女性作家の本を読むと、しれっとカルト教団の話が出てきます。カルト的なものが身近にある感じが印象に残る。その理由・アメリカの社会背景が見えやすくなりました。


本の序盤で多くの文字数を割いて書かれている、ジム・ジョーンズと人民寺院の話の途中にこんな状況説明がありました。

 ジム・ジョーンズが告げる地獄の炎は、信者たちをふるえあがらせた。あれほど凄い「信仰治療」を見せてくれた教祖の口から発せられる言葉は、まさに予言そのものだった。
 嘲うことはできないだろう。それは時代が共有する不安そのものであったからだ。当時、アメリカでは、自宅の庭や、地下に、核シェルターをつくることがブームとなっていた。核シェルターつきの建て売り住宅も売り出され、一区画ごと、あっという間に完売している。
(第6章より)

こういう時代感を現地に住んだ日本人の経験談として書かれているものを初めて読みました。

 

アメリカのカルトと日本のカルトの根本的な吸引力の違いについて、最後の付録対談で芹沢俊介さんが語られている以下は、かなり正確に的を射ていると思います。

アメリカでは人々が個のあり方に疲労していますが、日本では、かつての古典的な家族や夫婦の像がなくなり、個が吹きさらしになっています。個になることの不安ゆえに何かに帰属して包まれたいという動機でしょう。
(意識の吃水線、米国に近寄る より)

ここを読んで、具体的な話を思い出しました。

パンデミック渡航ができなくなった頃に、それまでインドへよく行っていた友人と久しぶりに会ったら、かつて親しくしていたインド人からチャットでお金の送金を打診されたそうで、その時に思ったことを話してくれました。
お願いに入る前にさりげなく散りばめられる「君はファミリーだから」というフレーズに、とにかく吸引力があると。そこに反応する自分に気がついてつらかったという話をしてくれました。
社会通念で構築された日本社会の「家族」と、インドでお金を無心されるときにハートに刺さってくる「ファミリー」は違うものです。

 


この本の末尾で、著者は以下のように語られています。

問いが現れた以上、意識はかならず、それに対応していく。

わたしは「せっかく見つけた楽しくて気持ちよいこと(ヨガ)を嫌いにならないために、どのようにそれを深めながら日常と両立させるか」を意識しながら練習を続けてきました。

自分を取り巻く身近な社会も自然の一部として見る感覚を持っておかないと、自然に還ると言いながら、うっかり離人症めいた思想に陥ってしまいかねない。

明るい未来をデザインしていくことが大切。そんなことをあらためて考えました。