うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

空海とヨガ密教 小林良彰 著

これは二度読みました。こんなにピンポイントで興味のある範囲にクローズアップした本なんて、なかなかあるもんじゃありません。紹介したいところはたくさんあるのですが、今回もいくつかをピックアップします。
この本の著者、小林良彰さんは、「妻の実家が空海の母・玉依姫の屋敷跡といわれる仏母院だったことから、長年にわたり、空海の生涯とその教えについて研究されている」という人です。この本が処女作だそうです。

<58ページ 第2章 入唐求法の真相 より>
「光に出会うと、それ以後、不思議な能力が出てくる」、これは仏教に限ったことではなく、キリスト教の世界でも語られることである。
(中略)一方、ヨーガ行者の言葉では「カバラ・バーティ」(頭蓋骨の光)といい、修行のある段階で出てくるとされる。ただし、修行しなくても、ある条件のもとで出てくる場合もあるという。(中略)フランスの文豪バルザック(1799〜1850年)は、晩年こうした奇跡に興味をもって、さまざまな文章を書き残している。

バルザックについては何も知らないのですが、フランスでお墓を見ました。フランス文学に触れたいな、と思っていたおりに、こうゆうきっかけが嬉しい。

<97ページ 第3章 インド神秘主義の系譜 より>
ハタ・ヨーガの行法を仏教の中に伝えた人は玄奘三蔵であった。インド大乗仏教の一派・瑜伽行派の代表的論書のひとつ『瑜伽師地論』を紹介し、自分の宗派を「瑜伽宗」にしようかと考えたときがあった。しかし、「法相宗」の名称に落ち着いた。それが日本に伝わり、興福寺法隆寺中心に大発展した。そのときは、のちに「雑密」といわれる「密教」が行われ、他の宗派にも広がったと解釈できる。

瑜伽師地論』は先日上野の国立博物館で見てきたのですが、奈良の興福寺も行ってみたいなぁ。

<123ページ 第3章 インド神秘主義の系譜 より>
「ヴァジロリー・ムドラー」とは、男女抱合のエクスタシーの中で、放出したものを再び取って元に戻し、保存するという行法である。日本人には社会的条件がないから、誰もできない。古代、中世のインドやチベットのような、おおらかな社会で始めて可能なものである。
これに関する経典も日本には伝えられた。空海最澄に対して貸し出しを拒否して有名になった『理趣経』である。「このようにして、死を克服する。行者の体内にかぐわしい香りが生ずる。この結構なヨーガは、享楽を味わう中で解脱を与える。」(『ヨーガ根本教典』。)これが、仏教の中に入って「大楽思想」と呼ばれるようになった。『理趣経』の根幹をなす思想である。これができれば、究極の心身の一致であることには間違いがない。しかし、そこに至る人体の改造は命がけの修行になる。

この『理趣経』にまつわるエピソードはいろいろな本を読む中でピックアップしているので、ここでも抜粋しておきます。
過去の引用 「『空海の風景』を旅する NHK取材班 著 」「密教―インドから日本への伝承 松長有慶 著

<147ページ 第4章 密教修法の効験 より>
玄賓法師は奈良・興福寺に入り、宣教という高僧から「瑜伽行唯識」を学んだ。この意味するところは重要である。瑜伽行とはインド語に直すと、「ヨーガの行」となる。それを漢語で表記したから瑜伽となっただけのことである。つまり、興福寺ではヨガを教えていたのだ。その行の中で、自分の体の隅々までを知(識)ることになる。それを「知識」といったが、現在の言葉でいう「知識」とは意味が違う。
この事実は空海真言密教をみるときに、考えなければならないことである。現在の仏教学では、真言密教密教全体だとしているから、瑜伽行唯識もまた真言密教だとしている。しかし、そうではなくて、空海以前に瑜伽行唯識があり、それは玄奘三蔵に由来し、年代でいうと空海よりも約二百年前からの伝統になる。瑜伽行唯識真言密教よりも古く、インド語ではハタ・ヨーガとアヴィアンカの組み合わせになる。つまり、身体操作と按摩、マッサージ、手当て、気功を混合したものである。

玄奘三蔵とヨガの結びつきについての整理がされている。ありがたや。



これは本年度最強か!?というくらい面白く読みました。