ちょっとお祝いをしたい日に、自分へのプレゼントに買いました。
昨年本屋でパラっと立ち読みしてずっと買おうと思っていて、ちょうど部屋の片付けを終えた日に通りかかった書店で見つけました。
そしてゆったり読んでみると、なんとすばらしい構成・編集・解説・まとめでしょう!
すべての「ヨガをはじめてみて、マインドへの効果の不思議が気になっている」という人に、これはいい本よーーー!と、なんの躊躇もなくおすすめできます。
なんの躊躇もなく、というのは、
心理的負担を減らし、
いまの場所で楽しめる前提だから。
多くの要素がイラストやレイアウト、複雑すぎない図解でカバーされていて、特に以下の解説がすばらしいと感じました。
人はなぜ苦しむのか クレーシャの構造の説明
これは、189ページの図がすばらしいです。
こんなに少ない文字数と図でヨーガ・スートラ第2章3節を解説しているページをこれまでに見たことがありません。
クレーシャはクレーシャ。「煩悩」という言葉があてこまれて普及してはいるけど、妄想や消費活動的な欲に溺れるという意味で使われる煩悩よりも深いレイヤーにあるもの。
そういうヨガ的な文脈を、ものすごく丁寧に、でもクドクド書かずに(←ここがすごい)説明されています。
トラタク瞑想法の集中と放棄の実践の説明
自分から見にいく「集中」と、光を受け取る「放棄」。
この放棄も、いわゆる投げ出す・捨てるという意味ではないヨガの文脈にさりげなく落とし込まれています。
この瞑想の説明の中にある文章がとても上手で、集中と放棄はセットであるという、この本の重要な通底テーマに即した説明。編集・文章化の精度に感動しました。
ヨガを15年以上やっていても、読むと感動する
わたしがヨガを始めたころにはなかった用語、ジャンルもあるし、それを生み出す背景・社会の変化があるし、同じ言葉でも使われ方は変わっていきます。
日本の人がヨガの教えを少し突っ込んで日本語化しようとする時って、なんとなく日本語話者の仏教学者にペコペコしなければいけないと感じさせる土壌(内面でお伺いをたてるような)があったと思うのだけど、本来ならばそういうことは気にしなくてよいはずで、これから益々、英語を経由した感覚で認識していく人が増えていくことになるはず。古いヨガの本を読むたびに、以前からそう感じてきました。
修行者として完成を極めるのではなく、かといって筋トレ+呼吸ってわけじゃない。楽しむものとして、「楽(リラックス)」について学べるのがヨガのいいところ。
そういう、わたしが内心ずっと思っていたことが具現化されているような本で、この編集ポリシーというのかな、貫かれたコンセプトに感動しました。
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少し前に今枝由郎さんによるブッダの経典訳を読んだ時にも思ったのですが、これは最新の現代語訳本。ヨガも、いつだって「現代語訳」が必要なもの。
この本の「マインドフルネス」の説明のページなどは、まさにその必要性を証明してくれるものだなと思いながら読みました。
手持ちで家に置いておくのにたいへんおすすめです。