うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

教祖誕生(映画:天間敏宏監督/原作小説 ビートたけし著)

映画を観てから原作を読みました。1993年公開の90分の映画で、最もセリフの多い重要な役を原作者(ビートたけし)が演じ、同年の映画『ソナチネ』で監督補をしているかたが、この映画『教祖誕生』の監督をされています。

映画はDVDを中古で買うしかないなか、有名な動画サイトで観ることができました(いまもまだ観ることができます)。

 

映画版は原作小説とストーリーが少し違っていて、コメディ仕立て。

教祖がリストラされる場面の描きかたがおもしろくて、これは原作にはない展開なのですが、立場が人格を変え、疑いなくその通りに振る舞っていく。その様子をわかりやすく見せてくれます。

 

神に近づきたがる人の思いが教祖のイメージを創り、人生の過程で思いあぐねている人のエネルギーがそれをさらに大きくしていく。その状況を経済的な視点で見る人がいないと教団組織は広がらないし、回らない。

この役割を演じているのが玉置浩二萩原聖人岸部一徳ビートたけしって、意外な組み合わせなのに完璧にハマってる。効果音や音楽の重なりかたもコミカルで最高です。

 

 

原作小説も読みました

単行本が1990年に出版されて、文庫本が1994年に新潮社から出ています。

はじめは図書館で借りて読んだのですが、これは手元に置いておきたいと思い、中古で購入しました。

著者が43歳のときに発表している小説で、かなりの勉強量が背景にある、想像以上の内容でした。

 

映画にはなかった場面がたくさんあって、瞑想、ヨガ、丹田呼吸法、坐禅、チャクラへの意識の集中なんて場面も出てきます。

 

登場人物の和夫(映画では萩原聖人)と司馬(映画ではビートたけし)の対話で様々な宗教談義が繰り広げられるのですが、和夫が「司馬さん、イスラム教の神はアラーでしたよね。ウチの神はなんて呼ぶんですか」「アラーと神とは違うものと考えたほうがいいんですか」という質問をし、司馬が以下のように答えます。

あのね、わかりやすくいえば、アラーは “アラブ人の神”、”の” のついた神、で、こっちの ”神” は、”の” 抜きの神ってことになる。コーランの中では “汝らの神は唯一の神” とあって、至上の神、唯一の絶対者になっているけど、つまりは ”の” のついた神だよ。

10章より)

この司馬の軽い喋り方も含めて、すごくいい。映画では別の話しかたで、焼肉屋で語られます。

 

映画はビジュアルが神道のイメージだったけど、原作小説の文庫の表紙は思いっきりインド。南伸坊さんの装丁です。

 

 

この本を読むまで、わたしは世間で評価されているビートたけしという人物に興味を持つ機会を逃してきました。

昔のことを思い出すと、自分が子供の頃に母がテレビを見ながら「この人はほんとうにに頭がいい」としきりに言っていて、わたしは「タケちゃんマンだった人が派手な柄のセーターを着て話すようになっている」という変化を漠然と見ているだけでした。当時は母の言っていた意味を、さっぱりわかっていませんでした。

 

いま自分が40代になってこの小説を読むと、頭がいい=思索力が鍛えられているという意味だったんだということがよくわかります。知識をそのまま出すのではなく、ほんのちょっとした喩えの鋭さで出してきたり、笑いとして出してくる。

 

政治家になっていれば大臣間違いなしだとおだてられて、小説のなかで司馬はこう答えます。

宗教法人だからこそ大っぴらに蓄財ができるんであって、政治家ならパーティひとつやっても文句をいわれるんだから、不自由なものですよ。その点、我々は神に祝福されているということか

19章より)

いま「失われた30年」みたいな言いかたで新興宗教の問題が語られているけれど、失うもなにも、関係がwin-winなんだもの。というのを、司馬があっけらかんと語ります。

 

「知っておきたい世界の宗教」みたいな軽い講座へ行くくらいなら、この小説を読んだほうがよっぽど勉強になると思う内容でした。

 

 

<余談>

先日ヨガクラスの前にこの話を熱く語ってしまったら、映画の存在は知ってたという人がいたり、それってオウム事件の前ですか? という質問がありました。いい質問でした。

調べました。

  • 1990年 小説『教祖誕生』単行本発売
  • 1991年 テレビ番組『TVタックル』で麻原彰晃と対談
  • 1993年 映画『教祖誕生』公開
  • 1995年3月 地下鉄サリン事件
  • 1995年4月 映画『教祖誕生』をテレビ放映

小説『教祖誕生』を書くだけの思索と予備知識があった状態で麻原彰晃と対談し、映画はあの演出で、コメディ仕立て。対談は半分本気で半分演技だったのだろうなと思えてきます。

ビートたけしという人は、どれだけ多くの視点で現実を見ているのだろう。この頃の冴え渡りかたに、今さらながら引き込まれています。