いっけん全く関係のなさそうな話から始めるけれど、ガンジーはすごい。
自身の抑えられなかった性欲や差別感情、イギリス留学時代に誘惑に負けた経験と肉食体験まで語り、そこから独立運動までがひと続きで、マハー・アートマー(偉大な魂)になっている。自伝を読むとわかる。
わたしは子どもの頃、ガンジーという人は意志が強く神秘的な求心力があった偉人と思っていた。全然ちがった。意志を構築するまでにかなり時間がかかっている。
バガヴァッド・ギーターもイギリス留学の頃にはそんなによく理解していなかったと自伝に書いている。自責と恥の感情を乗り越えて前に進むために、後になってからその聖典力になったと書いている。
わたしは政治家を大変な仕事だと思っている。
今月の選挙でわたしは「JAPAN CHOICE」を使って投票先を検討したけれど、党の選択となると、政策の重複で結局票は割れることになる、そういう結果が導き出される。
ああなるほど、だから情緒で個人の感情をハックしていくのが政治家としては合理的なのかと、便利な政党・政策比較検討ツールの登場だけでは超えられない現状を目にしながら、もう少しうまく行く仕組みはないものかと考えながら、身近な人に自分の意見を話してみた。
わたしはお子さんのいる家庭には子供の人数分の投票権を親に与えたらいい、というように、母数から変えていく方向でいくつかの意見を持っている。
そうしたら全く違う方向から数の原理の面で、想像を超えたところに問題があったことが露呈した。情緒で感情をハックしていく人海戦術の大きな水源が明らかになった。
組織内でのタダ働きをカルマ・ヨーガかのようにプログラムし、人材を議員のサポートとして無償で派遣する巧妙なやりかたが明るみに出た。
だってあの人たちは、やりたくてやっているのだから
お代官様がこう言えるように、がっちり仕組み作りをしている越後屋。
この状況を前に「世の中にはこんなに献身的な人がいる」と、議員がどこまで自然に思ったのか、思わなかったとしたらそれはバカなのかピュアなのか、この仕組みの恩恵を受けた人たちの考えを聞いてみたい。
だってあの人たちは、さびしくてやっているのだから
これは、わたしの恣意的な変換だけど、さびしい気持ちを救ってくれるのが「役割を与えられること」ってことが、人生にはよくある。
わたしはガンジーがインドの民に訴えたのは、「いい子だね~」と英国人にヨシヨシされて安心する精神性から抜け出さないといけないのだと、そういうことだったと理解している。
愛国心というのは、”ヨシヨシされたい渇き” をひとりひとりが乗り越えたところにあるのだと、このたびのこと(政治家×統一教会)でしみじみ感じた。
近代史とひと続きで見たとに、自分はいまとても大切な場面を生きているのだなと思う。