うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

漱石文学の思想 第二部 自己本位の文学 今西順吉 著


7年前にいつか読もうと思った本を、やっと読み終えました。
2008年に「ヨーガとサーンキヤの思想―インド六派哲学 中村元選集」を読んだとき、そのなかに

<480ページ 第8章 輪廻と解脱 より>
サーンキヤ学派によると、具体的な現実生活においては、一個の生存者としての自身と、それに対立する他の生存者と、その両者から独立していてしかもその両者に支配的影響を及ぼす自然界(あるいはそれを支配する神々)とが対立しているのであるから、苦しみは結局それらのうちのいずれかひとつに由来するのであり、以上の三種によって苦しみを完全に分類しつくすと考えていたのである。

(中略)

サーンキヤ学派のこの<三苦>の思想は夏目漱石の『草枕』に影響しているという見解があるが、なお検討を要する。

という中村元先生の記述があったから。その見解が述べられているのが、この「漱石文学の思想 第二部 自己本位の文学」のなかの「『草枕』とサーンキヤ哲学」という章です。該当章だけはかなり前に読んでいたのですが、そのときに「わたし自身がさまざまな夏目漱石作品とサーンキヤ・カーリカーを読み込まなければ、この見解についていけない」と思ったので、この7年間なんとなく頭の片隅に置きつつ、ここ2年半くらいでグワッと寄っていって、いま読んだという次第。
登場する主要書物をできるだけ自分なりに読みこみ、準備運動をしてから読みました。


まず草枕の話から言うと、三苦の思想自体はサーンキヤ・カーリカーに限らずバガヴァッド・ギーターにも出てくるものだけど、「冒頭にこれがある」という点はやっぱり気になる。そしてわたしもこの今西順吉先生の見解同様、那美さんの行動はサーンキヤ・カーリカー内におけるプラクリティの説明と重なって見えます。三苦の思想というよりも「草枕」そのものの主題がサーンキヤ・カーリカーを下敷きにしているのでは、という説を立てたくなる気持ち、すごくわかる。
わたしが気になったのは、それを漢訳(金七十論)で読んでいたのか英文で読んでいたのかという点。もし漢訳で読んでここまでストーリーに落とし込んでいたとしたら、すごいとしかいいようのない思いを抱きます。当時の知識人はそのくらいすごかったというのは知ってはいるつもりが、あらためてすごい。このあたりは狩野亨吉という人物にヒントがあるみたい。それはまたゆっくり、自分なりに感じてみたいと思います。
かねてより『坑夫』がべらぼうにヨーガ・スートラっぽかったり、『三四郎』の広田先生がシャンカラっぽかったり、夏目漱石の本を読んでいるといちいちいろんな教典の思想が想起されてしまうわたしにとって、この本は「ひとりぼっちじゃない」気持ちにさせてくれるものでした。



なかでも、『野分』以降で、それまでの「主客の合一」から「自他の合一」あるいは「自他不二」に発展していった(399ページ)という読み方をされているのは興味深い視点。わたしは『虞美人草』を読んだ時点で、「もうここには精神を物質的に見る視点が、だいぶなくなっている(藤尾さん以外は)」と思ったのだけど、たしかにそのひとつ前の『野分』が「自他不二」のはじまりかもしれない。
このほかにも、以下の視点の箇所にうなずいたり、うなったりしました。

<119ページ 『樣虚集』が提起するもの ──作品における「自己本位」の構図── より>
漱石は心の「自然」と社会・外界の「自然」とは異質のものであり、心の自然において人間の「真」を見ている。

これを後期の作品でどんどんわかりやすく書いていっている気がします。
▼こことか(「こころ」より)
「もしKと私がたった二人曠野の真中にでも立っていたならば、私はきっと良心の命令に従って、その場で彼に謝罪したろうと思います。しかし奥には人がいます。私の自然はすぐそこで食い留められてしまったのです。そうして悲しい事に永久に復活しなかったのです。」


<148ページ 『吾輩は猫である』の思想構造 ─ 4 第一章の特性 より>
漱石は倫理的であったが、倫理的であることが必ずしも常人に人間的であるとは考えていなかった。一般に漱石の倫理性が強調されているが、それだけでは例えば『それから』の物語としての主題をなしている姦通問題を説明出来ないであろう。一般的には『それから』から『門』へと連なる主題や、『こゝろ』における「罪」の自覚を倫理的と呼んでいるが、それは結果にすぎないのであって、漱石自身が注目しているのは「余儀なく」罪を犯さざるを得ない人間の心の問題である。

ここは、先の引用部でコメントした「心の自然」もそうですが、たとえば『それから』という略奪愛の話では「情調の支配」と「情緒の支配」という微妙に違う表現が混在していて、前者はトリグナの動き(ドーシャの乱れ)、後者は相手の女性の反応によって引き起こされる行為(顕在化してしまうもの)。この書き分けがずっと自分の中で気になる題材だったのですが、この今西先生の指摘を読んで、そう「余儀なく」のはたらきなのだとあらためて沁みました。


<164ページ 『吾輩は猫である』の思想構造 ─ 7 内的世界と外的世界 より>
 人間というものは裸になっても「自分」というものを離れることが出来ず、互いに優劣を競い合わずにいられない。銭湯の場面はこの問題を言いたいために、猫の見聞としてはかなり無理があるにもかかわらず、敢えて設定されたと言えよう。しかしそれだけならば様々な挿話の一つに過ぎないが、銭湯の場面は『猫』の中でももっとも大きな問題の一環をなしていると考えられる。

わたしもここは、ユーモラスでありつつ「自尊心を傷つけられて怒りを抑えられない状態を、客観視できてしまっている」という状態は、ただの癇癪とはちょっと違うということを描いていて気になる部分でした。


<175ページ 『吾輩は猫である』の思想構造 ─ 9 逆上の両義性と漱石の二世界説 より>
11章(あとでヴァイオリンの話になる章)
東風君は真面目で「新体詩は俳句と違ってそう急には出来ません。しかし出来た暁にはもう少し生霊(せいれい)の機微に触れた妙音が出ます」
「そうかね、生霊(しょうりょう)はおがらを焚たいて迎え奉るものと思ってたが、やっぱり新体詩の力でも御来臨になるかい」と迷亭はまだ碁をそっちのけにして調戯(からかっ)ている。


(上記を引用した上で)

 興味深いことに「生霊」を「せいれい」と「しょうりょう」の二通りに読ませている。生霊は通常は「せいれい」と読み「生きている人のたましい、いきりょう」を意味する。迷亭がこれを「生霊(しょうりょう)」すなわち「精霊」(死者の霊、魂)に読み替えているのは、新詩体と生霊の関係をお盆の迎え火と精霊との関係に置き換えて、まぜっ返しているのであるが、単なる冗談とばかりも言えないであろう。

こういう「単なる冗談とばかりも言えない」トリックっぽい部分がこの本のなかではいくつも指摘されていて、しかもほとんどがインド思想寄り。こんなにおもしろい漱石小説解説本はありません(わたしには)。


<453ページ 十五『坑夫』の無声各論の意義 4 無性格論と自己 より>
草枕』と『坑夫』とを比較するならば、『草枕』が純粋意識の確立を目指したのに対して、『坑夫』では表面意識の分析と批判が試みられている、と言えるであろう。ところで純粋意識と表面意識との関係については、サーンキヤ哲学に詳細な考察がある。もとよりサーンキヤ哲学の二元論の体系においては、表面意識は純粋意識(純粋精神)に対立する根本原質に帰属し、その多様な意識形態は五十種に大別されている(『サーンキヤ頌』第四十六─五十一頌参照)。そしてこれらの表面意識は最終的には、純粋精神に到達することによって、否定されることになる。いまそれを詳論する必要はないと思うので省略するが、漱石が性格という表面意識を断定的に否定し去って平然としていることが出来たのも、このような古典の知識に負うところが大であると考えられる。

ここは、『草枕』がいまだに夏目漱石作品の中でわかりにくいとされる点を見ると、当時もなにか背中を押してくれるものがないと書けなかったものかなと思う。にしても、ちょっとサーンキヤだけに引き寄せすぎかも。



以下は、東京で行った「三四郎」の読書会(こんなのやってまして)で指摘した人のいた部分。与次郎の身分コンプレックスについて、記述がありました。

<519ページ 十六『三四郎』10 選科生与次郎 より>
三四郎は、以下の場面(11章・「偉大なる暗闇」という論文が三四郎の名前で雑誌に載っていることを知る場面)の引用しつつ
「なぜ、君の名が出ないで、ぼくの名が出たものだろうな」
 与次郎は「そうさ」と言っている。しばらくしてから、
「やっぱり、なんだろう。君は本科生でぼくは選科生だからだろう」と説明した。けれども三四郎には、これが説明にもなんにもならなかった。三四郎は依然として迷惑である。


(上記を『三四郎』から引用しつつ、西田幾多郎全集にある述懐の以下を引用して紹介されています)

当時の選科生と云ふものは、誠にみじめなものであつた。無論、学校の立場からして当然のことでもあつたらうが、選科生と云ふものは非常な差別待遇を受けてゐたものであつた。今云つた如く、二階が図書室になつてゐて、その中央の大きな室が閲覧室になつてゐた。併し選科生はその閲覧室で読書することがならないで、廊下に並べてあつた机で読書することになつてゐた。三年になると、本科生は書庫の中に入つて書物を検索することができたが、選科生には無論そんなことは許されなかつた。それから僻目かも知れないが、先生を訪問しても、先生によつては閾が高い様に思はれた。私は少し前まで、高校で一緒にゐた同窓生と、忽ちかけ離れた待遇の下に置かれるようになつたので、少からず感傷的な私の心を傷つけられた、三年の間を、隅の方で小さくなつて過ごした。

こういう背景を知ってから読むと、三四郎君のフラットな設定の人物像がより際立って見えてきます。
さすが、あんな露骨な「抱いて攻撃」を前にやり過ごせただけのことはある。差別する側・される側、断罪する側・される側、最初から最後まで中間で揺れる。『三四郎』のおもしろさはここにあるなぁ。


<598ページ 十七『それから』 8 漱石自身の問題 より>
「もし茲(ここ)に野心があり覇気のある快男子があるとすれば、一時的の劒の力よりも、永久的の筆の力で、英雄になつた方が長持がする。」というのは漱石の本心であるが、「新聞は其方面の代表的事業である。」と続けているのは、ふと漏らした本心をすり替えてぼかしてしまおうとするものであろう。

ここはわたしも気になったところで、こういう「どさくさにまぎれて骨太の主張+そのあと適当にオブラート」という文章を探すのもおもしろい。


インド思想に興味のない人にはなんのこっちゃという漱石研究本かもしれませんが、こういう視点での研究があるってだけで、すてき。
ああおもしろかった。


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