うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

大塩平八郎 森鴎外 著

大塩平八郎の乱の密告から最期までを、史実に推測を加えて森鴎外が1914年(大正3年)に発表した文章です。
当人と親族や門人、追随した人、そして密告者と追跡者を知ることができる内容で、最後に著者自身がこの文章をまとめた意図を述べています。

 

慣れるまでは少し読みにくく、それは当時の人物や肩書きの名前がややこしいからなのですが、それでも慣れると脳内で時代劇のような映像がしっかり浮かびます。
最後は大塩平八郎とその養子を匿っていた家の米の減りかたが早いことで居場所がバレてしまう。それほどの飢饉の時代であることがよくわかります。
セリフがほとんどなく新聞のなかで組まれる特集のような感じで、いま読むと “そういう時代の、そういう社会の、そういう精神性” がワンセットで捉えやすく、精神性だけを切り出して崇拝するマインドの危うさを自力で理解していくための助けになりました。

 

私財を投げ打って……というと美談として語られやすいけれど、謀反を密告した人が富を得て出世できる仕組みのなかでどうやって腐敗を正すかという視点でみると、潔さは知恵とセットでないと苦しい。
森鴎外はこの文章をまとめた意図をこのように述べています。

(集めた資料にある日時と出来事の箇条書きの後に)

時刻の知れてゐるこれだけの事実の前後と中間とに、伝へられてゐる一日間の一切の事実を盛り込んで、矛盾が生じなければ、それで一切の事実が正確だと云ふことは証明せられぬまでも、記載の信用は可なり高まるわけである。私は敢へてそれを試みた。そして其間に推測を逞しくしたには相違ないが、余り暴力的な切盛(きりもり)や、人を馬鹿にした捏造はしなかつた。

ドラマタイズを抑制しながら書くことで、個人を過剰に英雄視したり行為を美化したくなる欲を誘い出すような、実際に読んでみるとそんな取り組みをしているように見えます。

一般人がSNSで暴力的に切盛する時代にこれを読むと、これはちょっとどうにも森鴎外を尊敬するし、小説も読みたくなる。そんな気持ちを強く起こさせるテキストでした。

 

 


▼わたしが「大塩平八郎」について知りたくなったきっかけ