大好きなシリーズの第三作目を読みました。
この『阿片窟の死』は、インドの近代史に関心を持っている人におすすめです。いきなり三冊目のこの本から入っても大丈夫。ドラマの「相棒」みたいなおもしろさです。
なぜこんなにも、今回はいきなりおすすめなのか。
理由を箇条書きにします。
- ヴィヴェーカーナンダ(1863-1902)、マハートマ・ガーンディー(1869-1948)、オーロヴィンド・ゴーシュ(1872-1950)の時代のカルカッタの空気がわかる
- ヒンドゥ・スワラージやその交渉のやり方がわかる
- 神秘思想が当たり前にあるインドという国がわかる
- インドとイギリスの心の共通点、関係性がわかる
- 植民地時代のインドとイギリスの主従関係がわかる
- これらを会話で分からせてくれるセリフがいちいちおもしろい
ほかにもアーユルヴェーダで薬物中毒を治す方法(あるいは禁断症状の沈めかた)がわかったり、化学兵器の製造や他国との関係性など、現代に薄く繋がる要素もあったりして、これ以上のインド近代史のオモシロ教科書はあるだろうかってくらい。
第三作目の本作では若き日のスバス・チャンドラ・ボースが脇役で登場します。ボースの上司にあたるチッタ=ランジャン・ダースについては、アルファベットで検索しないと情報が出てきません。
わたしはこの小説を読んで、この人物(C.R.ダース)を知ることができました。
もっとも豪華な場面はここ。
チッタ=ランジャン・ダース、バサンディ・デヴィ(ダース夫人)、スバス・チャンドラ・ボースの三名が、このシリーズの主人公の二人(ウィンダム警部&部下のバネルジー)と最後に会話をする場面で、こんなやりとりが繰り広げられます。
<ダースが行おうとしている抗議行動が危険なので中止させたい警部との会話>
それを潮にダース夫妻は立ちあがった。ボースもそれにならった。
三人は玄関前の階段まで見送りにきてくれた。ゲートの手前で、わたしは振りかえった。
「本当にこれでいいんですか、ミスター・ダース」
「ほかにどうしろと言うのです。わたしたちはみな全能の神からそれぞれの仕事を与えられているのです」
「今日もし死者が出たらそれはあなたの責任になります」
ダースはわたしを見つめた。一週間前にはじめて出会ってから十歳も年をとったように見える。
「あなたの話が本当なら、仲間たちとともに行進し、ともに死にます」
(34 より)
このダースという人物については、
序盤で相棒のバネルジーが簡潔に説明してくれています。
バネルジーは話しはじめた。「チッタ=ランジャン・ダース。高等法院の法廷弁護士で、インドでもっとも優秀な法律家のひとりと評されています。自治同盟運動の支持者です。その名を知られるようになったのは、いまから十五年ほどまえ、アリプールの爆弾事件の裁判で、誰も引き受けようとしなかったオーロビンド・ゴーシュという詩人の弁護を買ってでて勝利をおさめたときです。それで、盛名を馳せ、カルカッタでもっとも成功した法廷弁護士として知られるようになったのです。先の警部の言葉にもあったように、現在はベンガルでガンジーの首席補佐官を務めており、不服従運動と州全域の自警団の組織化を押しすすめています。人々に愛されていて、マハトマと同様に尊称をもって “デーシュバンドゥ” と呼ばれています。”国民の友” という意味です」
(3 より)
ここでシュリー・オーロビンドの名前が出てきて、わたしはぐいっと前のめり。
わたしが知っているオーロビンドはオーロヴィルのオーロビンドで、それ以前のことをよく知らないから。
この小説はイギリス人の上司を支えるインド人の部下バネルジーが通訳を務める場面が多く、そのやりとりを通してインド社会の独特さを学ぶことができます。
ある殺人死体の第一発見者であるマーラというサドゥーヴィ(流浪の聖女)に、死体を見つけたいきさつをウィンダム警部とバネルジーが聞き込みをする場面があるのですが、そこは特にうまい展開です。
マーラも含めて全員英語でコミュニケーションができ、ベンガル語が話せないのはウィンダム警部のみ、という状況です。ラモントはマーラがいる地域の刑事。
ウィンダム警部が英語でマーラと話します。
「どうやって死体を見つけたんです。通りから見えたんですか」
「いいえ。そうじゃない」
「だったら、どうして死体がそこにあるとわかったんです」
「鳥が教えてくれたのよ」
「鳥?」
「そう」マーラは大きくうなずいて、背筋に寒気が走るような視線をわたしに投げ、それからバネルジーのほうに向いてベンガル語で何やらつぶやいた。
「なんと言ったんだ」
バネルジーはちらっとラモントに目をやってから答えた。「こう言っただけです。そこに注意を向けられたのはハゲワシのおかげだ。自分は世界と一体化している」
「近くに誰かいませんでしたか」
マーラは目を閉じ、首を大きく振った。
(11 より)
この会話について、
以下はその会話です。
「どう思う」
「筋は通っています。ハゲワシが集まっているのを見て、行ってみたら死体があった。嘘をついているとは思いません」
わたしも嘘をついているとは思わなかったが、いまひとつ釈然としなかった。
「あのとき、本当はなんと言ったんだ」
「あのときって?
「彼女がわたしを見つめたときだ。きみは世界と一体化していると答えた」
一瞬の間があった。「自分には生きとし生けるものの気の乱れがわかる。人の気の乱れもわかると」
そのあと、バネルジーが「何か気になることでも、警部」と聞くと、
こんな展開になります。
「隠者がどうやって英語を学んだのだろうと考えていたんだ」
「フランス語もです」
「ああ、フランス語も」
「高位カーストの未亡人なんじゃないでしょうか。子供のころ英語教育を受けた。そして、幼くして結婚し、だが夫に死に別れてサドゥーヴィの道に入った。珍しいことじゃありません。そういう女性はけっこういます。インド社会では、若い未亡人は傷ものと見なされています。それは社会からの放逐を意味し、だったら神への道をたどったほうがいいというわけです」
「そりゃそうだろうな」
ウィンダム警部の “いまひとつ釈然としない” 気持ちからのやりとりを通じて、以下のことが同時に示されています。
- 未亡人になると居場所がない当時のインド社会
- 信仰がその受け皿になっていること
- 神秘的なもの言いは別に怪しいものじゃないこと
バネルジーもラモント刑事もそれに違和感を持っていないけれど、「なんでこんなにこの女サドゥーは語学堪能なの?! なのに、根拠として占い師みたいなことを言う」と、ウィンダム警部から見れば、そう見える。
調査や聞き込みを通じてインド社会の様子が示される場面は随所にあるのですが、この場面はほんとうに会話の展開が面白くて、説明がうまいなと思いながら読みました。
海外の小説って、冒頭に感謝の言葉とか偉人の名言とか古典の引用がありますよね。
ちなみにこの小説は、これでした。
忘れないでほしい。あなたは母国という祭壇への捧げものとして生まれたということを。
<スワミ・ヴィヴェーカーナンダ>
ぎゃーん!
スワミ・ヴィヴェーカーナンダって誰? というかたは、アタクシの本まとめも読んでいただきたいです。
▼世界でいちばん素敵なかたのお名前です
装丁も毎回素敵です。
過去分はこちら。