うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

仮想から現実へ―コンピュータ時代における良心の確立 本山博 著

先月たまたま通りがかったお寺の無人フリーマーケットに本山博先生の本が二冊あり、お賽銭を入れていただいてきました。
この『仮想から現実へ』は講演の内容を収録したもので、約25年前の本です。


著者はチャクラの研究で有名な博士として、そしてここ10年くらいの間にヨガを始めた人にとっては、陰ヨガのサラ・パワーズさんが著書で冒頭にお名前を挙げている人物として知られていますが、霊が見えちゃうかたでもあり、そういう話も出てきます。


この本は三部構成で、それぞれの講演日も記載されていました。

  1. 仮想現実と人間―仮想世界とその活用―【1997.06.29 第22回IARP年次大会】
  2. 情報化時代における正しい心のもち方―コンピュータにおけるバーチャルリアリティ(仮想現実)の危機を乗りこえるには―【1996.06.26 東京支部
  3. 本物とにせもの―情報世界と仮想現実―【1997.11.30 広島支部


1と3は半分くらい同じ内容で、神霊相談やアストラル下界に何万年も住んだ霊の話の話などが出てきますが、そういうのはほんの少し。「たまごっち」が流行ったり凶悪犯罪が起きたり、実際犯罪件数が伸びている上昇カーブの時期だったので、妄想を憂うトーンで書かれています。

現在とは状況が違うのだということを少し念頭に置きつつ読むとよいです。(犯罪件数自体は2004年をピークに減少しているので)

 


わたしは6月にVR技術が当たり前に登場する本(『記憶する身体』)と小説(『本心』)を読んだばかりだったので、五感や記憶、”影響されること” について、おさらいするような感覚で読みました。


そのときに考えたこととあわせて、「バーチャルリアリティの特徴と注意すべき危険性」は、とてもわかりやすい説明でした。

 ヨーガの行法に観想法というのがあって、精神集中の際に或る想念、イメージを画き出してそれになってしまおうという行法があります。この行法をやっていると、バーチャルリアリティの世界で起きるのと似たような現象が実際に起きるようになります。すなわち自分が大きくなったり小さくなったり、ありもしないものが見えたり、自分が壁を通って向こうへ抜けたりするような感覚を持つようになります。これはアストラル次元という想念の世界ですが、この想念の世界とバーチャルリアリティの世界とは非常によく似ている。そして想念の世界と現実の世界との区別がつかなくなってしまうと、これはもう精神異常なわけですが、バーチャルリアリティは、その中に人間が没入することによって、実際の現実と仮想の現実との区別をつきにくくさせる可能性をもっているわけです。
バーチャルリアリティの特徴と注意すべき危険性/A  日常的リアリティの崩壊 より>

このテキストで本山先生はヨーガの瞑想とシッディの話をされていますが、「これはもう精神異常なわけですが」の箇所について、わたしはヨーガ・スートラの第2章40節で「浄化によって」というのはトリッキーじゃないかという視点をもっています。


こういう節です。
(訳の引用は『インテグラル・ヨーガ』より)

浄化によって、自分自身の身体への厭わしさ、他人の身体に触れることへの厭わしさが生ずる。

これは自分のなかが居心地悪くなっちゃった人の話なんじゃないかと思うことがあります。

 

 

神を見た(かのような)恍惚状態については、本山先生は以下のようにお話しされてます。

 想念の世界、イメージの世界というのは、自分の感情とか欲望とかというものをひきずったものであって、非常に個人的なものなのです。ところが、小さな自我に満ちた個人としての自分を捨ててしまわないと、本当には神様に会うことはできないのです。それなのに安易に、容易にイメージの世界で神様に会えるように教えたり、信じ込んだりする。それは偽の宗教なのです。そういう偽宗教がはびこりやすい状態を、バーチャルリアリティでつくり得るということが、問題なのです。
バーチャルリアリティの特徴と注意すべき危険性/D  バーチャルリアリティにおける恍惚状態と神(イメージ)との一致 より>

「自分の感情とか欲望とかというものをひきずったもの」という言いかたがわかりやすくて印象に残りました。

日本で生まれ育ったわたしはインドの神様の話を読んでも、キラキラピカピカのイメージが湧きにくいです。神様がこんなに派手なはずがないと心の奥底で思っているから。

なのでインドのヨーガの神秘を体験したいと思ったら、そのイメージは日本で培養した自分の感情や欲望で補完したものだ、という冷静さはもっておかなくちゃな、と思っています。

 


この本を読んでみたら、本山先生は「超作」という言いかたでカルマ・ヨーガを説かれているように見えました。これまで著者の本はチャクラやヨーガの解説の本しか読んだことがなかったので、はじめて本山博さん個人の思想に触れた気がしました。