うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

将来の日本 徳富蘇峰 著

明治19年1886年)のベストセラー本を読みました。
一ヶ月くらいかけて、夜にお風呂でちまちま読み続けました。
さっぱりわからないまま無理やり読み続けて、少しずつ文体に慣れていきました。昔の文語体を無理やり読んで、読書の醍醐味を久しぶりに味わいました。

読みにくい文章は、読み続ける過程の変化が楽しいです。自分の中で翻訳ツール「DeepL徳富蘇峰版」みたいなのが毎晩構築されていきました。

 

 

  来たらざるべからざる → 来ないわけにいかない →  来ることになる →  来るべし
  <結局、来るんかーい!>

 

 

と、はじめのうちは毎回突っ込むのですが、「○○ざるべからざる」を浴びまくっているうちに脳みそが明治時代の仕様になっていきます。
この本は現代語にしたら、かなり文字数を減らせそうです。桃尻語訳・枕草子のような感じでこの本をネットスラングたっぷりで訳したらめちゃくちゃハマりそう。オラオラ斬っていくインフルエンサーのような攻めの書でした。

 


1886年に20代だったアツい主張をリアルにDeepLしながら読むというのは、なかなかハイカロリーな読書です。
Wikipediaで出版年の出来事を確認したら、かなり興味深い時代でした。


1886年の出来事>


このとき、夏目漱石は19歳。そう思うと、小泉八雲夏目漱石森鴎外も、格別に読みやすい口語体の文章を開発しながら書いていたんですね。いま読んでも普通におもしろいって、すごいことです。

 

で、この『将来の日本(将来之日本)』がおもしろくないかというと、おもしろい。すごくおもしろい。
この時代にこんなにエビデンス・ベースで世界で起きていることと現状のヤバさを伝えようとしていた人がいたなんて! と、その熱に煽られます。

 

全体をものすごく雑に要約すると、「日本はこの封建社会を早く解体しないと、マジやべーことになってる!!!」と訴える内容で、西洋の発展ぶりを『万国進歩之実況』というミチェール・ヂ・マルホール氏の著作を引用しながら伝えています。
武器の数、兵士の数、鉄道や電線の数、郵便の数、新聞発行数など、人間の文明の外的・内的現状を数字で示したあとで語り始めます。

 

徳富蘇峰による過去の日本の振り返り

後半に「過去の日本」という章があります。徳富蘇峰はこの時代にすでに、「もうこういうの、やめないとやばくない?」と訴えていた。いまよく耳にする「昭和かよ!」みたいな感じです。

この章の出だしはこうです。

 わが邦の少年学生はその講堂において教師よりスパルタの話を聞き、その一種、奇妙奇怪なる国風なるを見てあいともに驚嘆、舌を捲けども、知らずや吾人が父祖の日本はスパルタのごとくまたスパルタよりも一層緻密周到に軍隊組織の行き届きたる一の武備社会なりしことを。
 今や吾人は現今わが邦の形勢を論ぜんとするに際し、吾人はまずこの父祖の社会に関し一瞥の労を取らざるべからず。
 わが封建社会の前にかかる封建社会なし。わが封建社会ののちにかかる封建社会あるべからず。実に吾人が父祖の社会は宇宙の年代において空前絶後の現象といわざるべからず。

徳富蘇峰よりも石原慎太郎、どっちが先に生まれた人でしょう? とクイズにしたくなるくらい、徳富蘇峰のほうが昔の人なのに、どこでどうなってきたのだ。

 

さらにこのあと、話がユニークな方向へ転がります。
父祖の社会でプラスの下駄をリレーし続けている層に対して、こんな指摘をしています。

彼らは一妻をもって足れりとせざるなり。ここにおいてかさらに妾(しょう)を求む。もし社会の人みな富人ならんにはその求めに応ずるものなかるべし。しかれども彼らのためにその産物を供したる人民はすなわち貧困に陥るがためにその妾を求むるに及びてや喜びてその子女を供するものあり。ゆえにすなわち社会に妾といえるものあり。

まるで上野千鶴子さんのような鋭さです。娼婦の存在をキーにぐいぐい切り込んでいくところはスワミ・ヴィヴェーカーナンダの語りのとも似ていて、感動のレベルです。
そして次の章の「過去の日本 二」で、このように展開していく。

しかしてわが封建社会においてはこの軍律をば全体の関係に推し及ぼし、すなわち父子の関係もこれをもってし、夫婦の関係をもこれをもってし、兄弟の関係をもこれをもってし、朋友の関係をもこれをもってし、その巍々(ぎぎ)たる政事軍務等のごときはもちろん、隣里郷党・交際・冠婚・葬祭・花見・遊山等の細事に至るまでみな一様不変の軍律をもってこれを支配せり。これあに不平等のもっともはなはだしきものにあらずや。

冠婚・葬祭・花見・遊山等の細事に至るまで、ってところがいいですよね。
徳富蘇峰はこの本を出版したのと同年(1886年)に、熊本で日本初の地域婦人会を結成。政治家に女性の参政権を要求したそうです(参考)。

女戸主に限らずすべての女性に参政権が与えられたのは1946年(戦後)なので、この本を出版した約60年後です。

その時83歳になっていた徳富蘇峰は、戦犯容疑をかけられ、それを理由に貴族院議員や文化勲章を辞退して隠居しています。
いやー、ちょっとなにこの歴史。日本の近代史がつらすぎる。

 

欧州とアジアを見ていた徳富蘇峰

徳富蘇峰は先に引用した「過去の日本」の章よりも前にある「平民主義の運動」という章で、以下のように先進国を揶揄しているのですが、これがまたかなりの煽りっぷりです。 

それ過去の欧州世界は貴族的の世界なり。しからばすなわち今日においてたといいかにその抑圧を脱せんと欲するも幾分かこれを忍受せざるべからざるは、いまだ現今の社会の産出せざる以前にすでに指定せられたる一の命運といわざるべからず。かのスペンサー氏が冷刺したるがごとく、学校の教育において一週の六日間はアキレス〔トロイ戦争の勇将〕をば英雄として崇拝せしめその第七日〔日曜日〕にはキリストを親愛すべしと教え、公館の饗応においてはいまだ国会のために祝杯を傾けずしてかえってまず陸海軍の人のためにこれを傾くるがごとき雑駁なる習慣はいかにして生じたるか。傲慢偏僻にして不健全なる愛国心はいかにして生じたるか。
(平民主義の運動 二 より)

今日ここまでで引用したのはほんの一部なのですが、わたしはこの本を読んで、日本にもこんな考え方を発表する、ラーム・モーハン・ローイ(1772〜1833年)のような人がいたのかと驚きました。


ラーム・モーハン・ローイ(上記の本ではラムモホン・ライ)はインドの社会活動家。徳富蘇峰(1863〜1957年)は、ガンディー(1869〜1948年)と同時代の人です。

 


この『将来の日本』では、前半でインドとビルマについて言及されています。

徳富蘇峰は生まれた時代からして、「なんかアジアって、東洋って、そうなるしかないの?」という感覚の中にいたようです。
もう章のタイトルからしておもしろいのですが、前半の「腕力世界」という章でこんなふうに書いています。

 吾人はこれを疑う。かの植物が動物のために生じたるがごとく、動物が人類のために生じたるがごとく、東洋なるものはあるいは欧州人のために生じたるにはあらざるかと。吾人かつて『神皇正統記』を読むに実に左の古伝説を見る。しかしてこの古伝説たるやさらにわが東洋の現状に適したるを見るなり。


 出雲の簸(ひ)の川上というところにいたりたもう。そこにひとりの翁と姥とあり。ひとりの少女(おとめ)をすえてかきなでつつ泣きけり。素戔烏尊(すさのおのみこと)たぞと問いたもう。われはこの国神(くにつかみ)なり。脚摩乳手摩乳(あしなずちてなずち)という。この少女はわが子なり奇稲田姫(くしいなだひめ)という。さきに八箇(やたり)の少女あり年ごとに八岐大蛇(やまたのおろち)のために呑まれて今このおとめまた呑まれんとすと申しければ、尊われにくれんやと宣(のたま)う。勅(みことのり)のままに奉ると申しければこのおとめを湯津のつま櫛に取りなし、みずらにさし八※(「酉+慍のつくり」)(やみおり)の酒を八つの槽(ふね)にもりて待ちたもうに、はたしてかの大蛇来たれり。頭おのおの一槽に入れて呑み酔うてねぶりけるを、尊はかせる十握とつかの剣をぬきて寸々ずたずたに切りつ。


 ああインドすでに滅び、安南また滅び、ビルマまたついで滅ぶ。剰(あます)ところの国もただ名義上において独立国たるを得るのみ。おもうにこれもまた早晩大蛇の腹中に葬るの命運を免れざるや否や。第十九世紀の今日においては八岐の大蛇はあれども素戔烏尊はあらざるか。実に覚束なき時代というべし。
(腕力世界 二 より)

悲観と民族意識の掛け合わせかたに技巧を感じます。

いま売れやすい新書に似た煽りのセンスを感じます。インテリを気持ちよくさせて愛国心をくすぐる、あのテクニック。ちょっと気になっておもしろいから、どんどん読んでしまう。
実際、序盤のこの「腕力世界」がかなりおもしろかったために、最後まで読まされた感があります。

 

 

この本を読んだきっかけ

読みながら何度も、「なんでこんな本を読んでいるのだろう。おもしろいなぁ」と思いました。
徳富蘇峰という名前自体、ことし初めて知ったのに、なんかハマっちゃった。
最初にその名前を見たのは、昨年の春と今年の春の2年がかりで読んだ、島崎藤村の小説『春』の注釈でした。(この本はいろいろ思うことが多くて、まだ感想を書いていません)

 

『春』は島崎藤村が若い頃の友人関係を回想して書いている小説なのですが、まあどうにも頭の中が陰気な人ばかりで、引っ張られてしまって大変な内容でした。
前半は親友が死を選ぶまでの付き合いと、同じく苦悩していた島崎藤村自身の様子が描かれます。

終盤になると、それはそれとして身近な人と助け合いながら少しは希望を持って生きていく、前半のいや〜な力が抜けた感じになっていきます。その頃に、亡くなった親友の別の友人の先輩として、徳富蘇峰の存在がちらっと語られます。

それは小説の中でほんの一瞬のことなのですが、光に見えました。
そんなふうに、注釈でちらっと目にした「徳富蘇峰」という人名を、ちょうどその本を読んでいた頃に、別の場所で目にしました。

 

ここは徳富蘇峰の弟・徳富蘆花にちなんだ場所です。
たまたま友人とカレーを食べたあとに行ったのですが、あれ、なんかこの人名、最近見たんだよな。あ、兄弟か! と。そんなきっかけがありました。

 


そしてその二ヶ月後に、GWに行った旅先でも名前を見ることになりました。

小泉八雲・熊本旧居の入り口に熊本ゆかりの人物の人脈マップがあり、その中心に徳富ブラザーズがいらっしゃいました。

行くとこ行くとこ、徳富Bros.がついてくる。

 

 

そんなこんなで、東京に戻ってからここへ行ってきました。

この記念館で徳富蘇峰の人柄を知り、この本を読みました。
この半年間、ずっと徳富蘇峰に追いかけられているような気がしていたので、これでやっとひとまず解放されたような、いまはそんな気分です。

 

 

めちゃくちゃ勢いのある本でした。