うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

(再読)真の独立への道 ― ヒンド・スワラージ M.K. ガーンディー 著 / 田中敏雄 (翻訳)


この本は昨年の夏に初めて読んで、そのときは図書館で見つけて借りてきて読んだ感想でした。
そのあとどうしても手元に欲しいと思っていたのですがamazonに新品の在庫がなく、都内の本屋をいくつも見て日本橋のタロー書房で手に入れることができ、昨年の11月に再読しました。こんなにも手元に欲しいと渇望した本は久しぶりです。
これまでガーンディーについての本は本人以外の人が書いたものをいくつが読んでおり、一時期はビームラーオ・アンベードカルへの肩入れが強くなったこともあって、特に晩年のガーンディーのエピソードについて否定的に見ている部分もありました。でもこの40歳の頃の本人の言葉を読むと、理論立て・弁術エネルギーがすごくて、この時点でかなりのところまで自己認識の組み立てがすすんでいるのがわかります。勢いがある。


本人によって書かれたテキストで先に読んだのはマハートマーと呼ばれる存在になってからの、「獄中からの手紙」でした。これは以前も紹介時に書いた通り、バガヴァッド・ギーターの現代的な解説書と言いたくなるような内容です。一般社会で暮らす日本人がクリシュナの言葉を現代的信念に落とし込むには…、と考える際の、手に入れやすい最良のテキストではないかともと思います。大きな書店であれば、置いてあるところが多いです。
そしてそれ以前に書かれた、この「真の独立への道―ヒンド・スワラージ」は、インド思想の要約書のようにも読めて、脳内問答(自問自答)をコンテンツ化するということをこんなふうにできるものなのか! と、かなりの衝撃を受ける内容でした。インタビューを読んでいるようでありながら、すべてがガーンディーの考えという構成です。
読んでいると、ガーンディーはインド人がよくない意味でアルジュナ化していることを、40歳の時点でありありと自覚していたことがわかります。でも、絶望していない。もうだめじゃんインド…、となっていない。


自分で「できない理由」「やらない理由」を探していることに気づいている瞬間って、ありますよね。そこで反省する人もいるけれど、他人のせいにする方法を探す人もいます。この本で、植民地時代のインドが完全に後者であるとガーンディーは片っ端から指摘していきます。
「他人のせいにする方法を探す」という行為をする人の役も自分でやっている。その怠惰性が自分の中にもあって、でもそれではいけないのだと自分に言い聞かせているかのような問答。


バガヴァッド・ギーターという書物は、信仰心ををいったん横に置いて読むと、ニートの青年をいとこのお兄さん(=クリシュナ)がかなり体を張ってあの手この手で説得してくれているのになかなか仕事を始めようとしない「大人の中二病物語」のようでもあるのだけど、ガーンディーのこの本の中の「読者」と「編集長」もこれに近い構図になっています。
が、ガーンディーが演じる「編集長」は、クリシュナみたいにやさしくない。ぜんぜんやさしくない。クリシュナは紅白歌合戦小林幸子か! と思うほどギンギンギラギラで身体を張ってくれたりもするけれど、この編集長はひたすら言葉攻め。
でもこれがクセになる。とにかくすごい。よく読むと強引な理論もあるのだけど、それはさておき最終的には愛しか感じられないくらい、ねちっこい。


人間の意識状態(熟眠・夢眠・覚醒)をからめた説明などは、まるでヨーガの哲学の授業のようです。

読 者:では、ベンガル分割をあなたは目覚めの原因と認められました。それによって広まった不安はよいとされるのでしょうか、それともそうではないのでしょうか?
編集長:人間は眠りから覚めても、寝ぼけていて、寝返りを打ち、落ち着いていないものです。すっかり目覚めるのには時間がかかるのです。
(3 不穏と不満 より)



編集長:寝ている人間は見る夢を本当だと思います。眠りが覚めると自分の誤りが分かるのです。文明に支配されている人間の状態はこのようです。私たちが読むものはなんでも文明の擁護者たちの書いたものです。たいへん賢明で善良な人たちが加わっています。書かれたものに私たちは驚嘆してしまいます。このように次々と人間はそれにはまり込んでしまいます。
読 者:あなたのいわれたことは正しい。さあ、あなたが読み、考えたことを教えてください。
編集長:まず最初に、文明という名がどの状態に与えられるものか考えてみましょう。この文明の真の特徴は、人間たちが物質的追求と身体的安楽を有意義であり人生の目的としていることです。(以後略)
(6 文明の哲学 より)

編集長の言葉の中で、わたしの一番好きな部分は、ここです。

水瓶を守る道は水瓶を小石から遠ざけることではなくて、焼き固めることで、そうすれば小石など恐くはありません。同じように私たちは焼き固められた心の持ち主とならなければなりません。
(10 インドの状態<続>── ヒンドゥー教徒イスラーム教徒 より)

ゲーランダ・サンヒターの第1章8節のよう。わたしはガータ・ヨーガの思想が好きなので、後半にこれが出てきてグッと尻の根っこをつかまれました。(ガータ=土器)



ユーモアもあります。

編集長:機械の長所については何一つとして思い出せません。短所については本が書けるほどです。
読 者:この書かれたものすべては機会の助けで印刷されるでしょうし、機械の助けで届けられるでしょう。これは機会の長所ですか、それとも短所?
編集長:毒でもって毒を制すのこれは例です。これはなにも機会の長所ではありません。
(19 機会 より)

この本はインド式ディベートの雰囲気が感覚的によくわかるという点でも、すごくよい本だと思います。


この本はイギリスが持ってきたキラキラとした文明に完全に魂を抜き取られているインドの人々に「イギリスの文明は身体と心を使わなくする技術です。わたしたちの文明は身体と心を使う技術でしたよね?」と、さまざまな角度からガーンディーが民衆に説きたい気持ちをコンテンツ化したものなのだけど、日本のようになってはいけないというようなコメントをしているところもあって、鋭いなと思います。

読 者:日本のように、インドも自国の艦隊、自国の軍隊、自国の繁栄、そのときにこそ、インドは完全に名を挙げるでしょう。
編集長:これはまた、あなたはすばらしい絵を描きましたね。それはこういうことになりますね。私たちはイギリス統治を必要とするが、イギリス人は必要としない。あなたはトラの性質が欲しいが、トラは欲しくない。つまり、あなたはインドをイギリスにしたいのですね。インドがイギリスになれば、インド、ヒンドスターンとはいわれずに、本当に、イギリス、イングリスターンといわれますよ。この自治は、私の考える自治ではありません。
(4 自治とはなにか より)

日本も日本の自治の文明を失いつつあるとはいえ、核を持つ発想はないと思うんですよね。でもインドはその後、核を持ちました。このあたり、第一次大戦からの歴史を学ぶ面でも、40歳のときのガーンディーの考えはすごくためになります。
ここで引用はしませんが、最後の150ページ目の文面に、バガヴァッド・ギーターの教えを現代社会で実践するならこのように考える、というガーンディーの思想が示されています。
この本は一家に一冊。すごくおすすめです。