うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

かくも甘き果実 モニク・トゥルン著/吉田恭子(翻訳)

こういうのを歴史小説というの? 驚きのおもしろさで、わたしにとってはサスペンスでもありました。

語り手の独白にどんどん引き込まれます。ああそうか、この人が話しているのはラフカディオ・ハーン(日本名:小泉八雲)のことなのね。で、この人は誰に語りかけているの? エレサって誰?

 

最初はそんな感じで、語り手の語調や言い間違い・方言などから、その時代と土地と人の全貌が知らされていく。旅行記のような生活記。

これは日本語訳者の人も大仕事。日本語で読む人には小泉セツさんの方言に引き込まれる特別なたのしみが用意されています。

 

 

── それにしても、すごい。なにこの調査力。

執筆に8年かかったそうで、そりゃそうでしょうというくらい、ちょっとしたところに当時の人の息づかいが聞こえてくる、はにかみや悔しみの沈黙まで感じられます。昔の人が目の前で話をしているみたい。

 

 

この本に途中でぐっと引き込まれたきっかけに、熊本の小泉八雲旧居で見たアリシア・フォーリーさんの写真を見ていた、というのがあります。ものすごい美人。アリシアさんは初婚の相手で、黒人で、人種的に格差婚扱いをされていた。それを展示で知りました。

 

この本を読むと、アメリカでのアリシアさんとの馴れ初めと生活、そしてその後に日本で結婚した小泉セツさんとの馴れ初めと生活、さらに、両親の馴れ初めと生活が見えてきます。

これらがまあなんともリアルに描かれる。それぞれが生きた環境の過酷さったら!

 

一番説明しやすい小泉セツさんの話をひとつ例に出すと、ラフカディオ・ハーンの歴史を語る上では日本人の妻だけど、社会生活の中では洋妾(らしゃめん)扱い。夫婦で日本の景色を見て歩いているときも、行き先の土地の人から洋妾として見られています。

妻として高価なものを発注しても、業者は妹と話すような馴れ馴れしさで話します。こういうときに、辱めを受けた気持ちになってます。

 

 

日本語を偏った形で覚えていく夫ハーンが、「霊」という日本語を知っていて、あとでそれをちゃんと訳さなかったことを「嘘つき」として詰められる話などは、涙なしには読めません。

外国人にこの神聖な海に入られたら穢されるという理由で「霊が出る」と言った村の人の拒絶にハーンが傷つかないよう、「鮫が出る」と意訳して怒られちゃう。

つらい。つらすぎる。日本で一番つらい中間管理職代表のような仕事っぷり。

 

 

ハーンはハーンで、日本で13人を養うために働かねばならず、大変です。後から夏目金之助とかいう教師が安い給料で入ってきてあっさりリストラされちゃったりして。

わたしはこれまで夏目漱石サイドからハーンを見てきたので、この内情は意外でした。夏目漱石は前任のハーンがあまりに人気がありすぎて気負っていたのを知っていたから。エッセイの中にたまに触れられる「八雲先生の評判」を読んでいただけに、ハーン側から見た実情が意外でした。

 

 

この物語は「母国語」と「明確には語られない心」と、それを伝える手段としての「料理」という題材がおもしろく練りこまれていて、インド人からイギリス料理を学んだ大阪出身の料理人と小泉セツさんとのやりとりなどは、あまりのおもしろさに何度も遡って読みました。

ハーンが母国の味を求める姿が、その対応に苦労する女性を通じて伝えられます。

 

 

母国語と外国語と読み書きと教育

この本が伝えてくるものは、料理(味覚)を通した感覚への懐かしみのほかに、母国語を話す権利や読み書きを覚える権利の有無が、多くの真実をなかったものにしてしまうということ。

ハーンの母、最初の妻、次の妻。三者三様のつらさがあります。

 

▼ハーンの母 ローザが子供の頃のギリシャ・サンタマウラ島

 わたしは口を開けば、ふたつの言葉、ヴェネツィア語とアテネ語のどちらも話せますけれど、紙の上ではどちらも読み解くことができません。若い頃、兄たちと一緒に手ほどきを受けさせてもらえるように父にせがんだのですが、許してもらえませんでした。わたしがこの家を出るのは、神の家に入るか、夫の家に入るときだけだと申すのです。どちらへ入るにせよ、そこには男がいて、何が書かれていて、何をわきまえておくべきか告げてくれるから、文字はいらぬと申すのです。

(ローザ・アントニア・カシマチ 1823-1882 より)

この後の語り手となる、アメリカで結婚した妻アリシア・フォーリー(1853-1913)も、英語でコミュニケーションは取っているものの、筆談はできないので絵でやり取りをしています。その内容がどうにもせつなく、意思疎通のうまくいかなさがつらい。

 

 

小泉セツさんは、日本語の読み書きができます。

▼ハーンの妻 小泉セツが子供の頃の島根県

 恭順の二年後、勅令により松江の町にモダーンの軍隊が駐屯したのだ、と教わりました。お馬に乗ったフランス人が監督し、兵隊さんが肩に銃を担いで行進した、と。

「モダーン」という言葉は、改良という意味、西洋由来という意味、舶来という意味だと教わりました。

 モダーンの灯りは石炭ガスの火で、大橋と天神橋を結ぶ通りに据えつけられ、松江のモダーンな仕事の時間が夜にまで延びたので、往来しやすくするためだと教わりました。

 モダーンの建物は煉瓦製で、椿のごと赤く、透明な硝子板を貼った窓があると教わりました。モダーンの建物には文明開化のお役所に、新しい官制学校、新しい官制病院、新しい郵便局が入っているのだと教わりました。

 子どもらはみな、男子も女子(おなご)も、今では官制でタダの学校に四年間通わねばならぬと教わりました。店の裏に、漁船に、近隣の水田や麦畑に、働き手が要るために、学校へ行けぬ子が大勢おると教わりました。働かなくてもよい子らは、モダーンの教科書でプラトンキケロやフランクリンのことを読みました。フランクリンはわたしの兄さまらと同じで、凧揚げがお好きでした。

 同級生もわたしも八歳になったころ、そんなことあれこれを教わりました。二つの時代の狭間に生まれて、古い時代に生きるとはどういうことか、この目で見ることができたのです。

(小泉セツ 1868-1932 より)

ものすごい時代を生きています。

 

 

小泉セツさんの章で語られる理想と真実

小泉セツさんの章に、こんな語りがあります。

 あなたは信じ続けたのです、八雲。

 またのちに、あなたが最初の西洋人となる辺鄙な村を訪ねることがありました。行く先ごとに、あなたが公言するのは —— そしてわたしがあなたに代わって声にするのは —— 神社仏閣や地元の民話、迷信、信仰に非常に興味があるということでしたが、あなたが何よりも見出したいと願っていたのは、自分の中に秘められている信念だったのです。まわりの人々の体を見て、穏やかだと見なす。あの体の中に、自分が知っている野蛮な体とは違う世界の何かを見出したかった。

 八雲、体は体 —— 穏やかであり野蛮なのです。実のところ、あなたとあのひとたちを分かつものは何もなかったのです。

「人間の魂の美しい場所に自分はいるのだ」と思い込みたいハーンと、その横で日本人から洋妾扱いされながら、その矛盾を秘密として抱えながら育んでいた信頼関係。

重すぎる現実に向き合う夫婦の物語は記念館で見れば美談だけど、この小説を読むとそれだけじゃない。

 

エリザベスに渡すハーンの伝記の原稿を書き取っていた三成重敬(みなりしげゆき)がセツさんに言う以下の助言は、多くの人がこの本のもっとも重要なセリフとしてピックアップするはず。

「事実というのは魚の骨のようなものです。身をお出ししたいのなら、骨は捨ててしまってもよろしいでしょう」と彼は勧めるのでした。

本当はこんな状況で、美談なんかじゃない! 実はこんなにこじれていたの! と事実を伝えなければいけない気がするセツさんに、それは読み手には必要のないことだと伝える賢明さ。これはすごいセリフです。

 

このセリフはその後の展開へのアクセントにもなっていて、こういう展開に何度も泣かされます。

 エリザベス・ビスランドは山陰新聞とは違いました。これはありがたかった。結婚のときのわたしの年齢を訊ねてきましたが、どうして二十二にもなって夫がいなかったのか説明を求めてくることはありませんでした。そういうわけで、最初の結婚のことは、まるで大阪にでも行ってしまったように、一度目の物語とそれに続くあなたのエリザベスの本からはすっかり消えてしまったのです。山陰新聞だったら根掘り葉掘り聞いたでしょうね。骨のない魚なぞうんざりだと思ったことでしょう。

海外で伝記を出版しようとしているエリザベスが欲しい真実は、日本人が欲しがる真実とは違っていました。

 

他人の私生活を覗き見して美談にしたり悲劇にしたり差別やしきたりの文脈を強調したり、そういうことをされるのは致し方ないとして、心の事実は心の事実。

骨も身もあるのが魚じゃないか。そんな叫びが聞こえてきそう。

特別な体験をさせてくれる本でした。

 

 

 

この本をきっかけに以下の本も読みました。