久しぶりにかつてのヨガスクール仲間と会ったら、この小説を読んだそうで、しんどかったけど読んでよかったという話をしてくれました。その熱さについていきたい気持ちが起こり、わたしも3年半ぶりに再読しました。
もう手元になかったので買って読みました。やはりずっと手元に置いて付箋を貼っておくべきだったな。
この本はひとりの人物のある6日間を書いた物語で、年齢が各章になっています。並び順は年齢順ではありません。
今回は再読だったので自分の実年齢に近い章を読み、次に記憶に残っていた章から読んでいきました。47歳→29歳→34歳→16歳→3歳→63歳の順番で。
(デフォルトは16歳→29歳→34歳→47歳→3歳→63歳です)
この本は『Sex and the City』みたいなエピソード展開なのだけど、親友がいない設定。ええっ? 友情抜きにSATCはあり得ないでしょ! と思われそうだけど、それを小説で実現しているのがこの本の恐ろしいところです。
各年齢ごとの痛さ弱さを追いながら、なぜ自分はひとりなのかを考えさせられる。
わたしが今回47歳から読み始めたのは、このエピソードが最も長く印象に残っていたのと、やっぱりここが境界だと思ったから。
なんの?
それは・・・
それまで「自分を持ってる」「自分に正直」などと
周囲からポジティブに捉えてもらえた人格が、
そうでなくなっていく境界
この現実。
冒頭に書いた友人はわたしとほぼ同じ年齢で、30代の前半で知り合いました。その人と、ここ5年くらいで話すことがものすごく変わってきています。
組織(会社・家庭・あらゆるコミュニティ)の中で立場が変わってきて、若い頃は熱意があるとか積極的と言われた言動・行動が、周囲にマイナスに作用するケースが出てくる。同じやり方をしていたら、そうなっていく。
いかに自分を抑えつつ笑えない自虐をせず、かつ、主体性を投げ出さずにいられるか。健全な心の加齢の重要課題として、こういう話題が持ち上がるようになっています。10年前には全く考えられなかった会話をしています。
誰とも心が通っていなくても、存在として新しければ "しばらくは" 認めてもらえる。家族や友達がいなくても、社会のなかで "カスタマー" になれば無視はされない。後者は資本主義社会の残酷な一面かもしれません。
条件付きの立場を拠り所に自尊心を守る思考の恐ろしさは、自分にも経験があります。親切な対応を受ければ自我は容易に肥大し、自分を腫れ物扱いせず迷惑そうに接する人を見れば、こういう人こそ誠実なのだと思考を極端に変換して誇大妄想を展開してみたりする。
これを回避するには、自分も提供者側になるしかない。わたしの場合はそうでした。
今回の再読では、友人の感想による後押しもあり、前回よりさらに夢中になって読みました。
16歳の章では、高校時代の日和見生活の息苦しさや運動行為への「集中」の書き方に唸りました。設定が絶妙です。自我が自然に鎮まっている瞬間になぜかうまくいくあの技術は、年齢を重ねたからといって自動的に身につくものじゃない。
小さな抗議を黙々と続ける “察してちゃん” の末路
残酷な話だけど、実際そんな人ばかりじゃない?とも思う。これには性別も年齢も関係ない。
タイトルにもなっている「方法」も物語の中に具体的に出てくるけれど、それがまた上滑りでせつなくて、まるでYoutuber のライフハック術を次から次へと貪る惨めさそのもの。
頭のいい人から見たら簡単に釣れる人間の雑念をこんなふうに言語化されてしまうと、自分で穴を掘って入って埋まって冬眠したくなる。春なのに。
でもこの本は魔除けのように本棚にずっと置いておきたい、とても憎たらしくて可愛い本。
「すごくいい本を教えてくれてありがとう」と、あの子に言われてうれしかった。
- 作者:本谷 有希子
- 発売日: 2016/06/15
- メディア: 文庫