うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

客観性の落とし穴 村上靖彦 著

客観性や統計の結果、数値的なエビデンスを求める学生が増えていることをきっかけに、大学の先生がまとめられた本です。

書店で手にして、これは今まさにわたしの身近で起こっていることだっ! と思い、読みました。

 

数年前からわたしはこのブログに「更年期」というカテゴリを新設し、わたし個人の心身に起こっている変化を書いているのですが、これについて「楽しみにしていると言ったら変なのだけど、めっちゃ読んでる」と友人から言われます。

 

こんな n=1 の話を書いて意味があるのかと思うのだけど、その n であるわたしのキャラクターを知っているからこその読み方というのがあって、特に、少し若い世代の人との以下のような会話に意味があると感じています。

 

 

 中年ビギナー:うちこさんが更年期なんて、まったくそんなふうに見えない・・・

 

 中年のわたし:”そんなふうに見える” という状況にしないためにやったことを書いてるの〜

 

 

“そんなふう” ってなんだ、という話は、統計やアンケートのサマリーでは出て来ないものです。

「更年期の女」「更年期のおばさん」という言葉がイメージさせるものはさまざまだけど、実際のわたしに起こっていることで文章化できるのは、「エア生理」*1の時期に悪魔的なものを感じたり、分析仕事や契約文書の読み込みで脳のバグりを感じたり、ものすごく個別で具体的なことです。

 

 

わたしは昨年エクオール・チェックをした時に、その企業が統計をとり共有していこうという試みを素晴らしいと感じ、自分もやったよとここに書きました。

 

 

あれから1年半。この18ヶ月の間に、少しずつ変化が重なりました。

それはわたしのスピードで起こっています。それを丸めて端的に書くことはできません。そこで諦めれば、「お年頃」「人それぞれ」で終わってしまう。

丸めて端的になんて書けっこないのです。

 

 

この本にある、まさに以下のようなこと!!!

自然・社会・心の客体化を通じて自然・社会・心が「モノ」あるいはデータになるとき、経験という「やりとり」が視野の外へと消される。

(第2章 社会と心の客体化/経験の消去 より)

 

統計学は偶然の出来事に正面から直面するのではなく、少し目をそらして外から眺めることで飼いならす。しかし、偶然との出会いから生まれる唯一無二の経験や説明を超えた変化を、統計学は考慮しない。

(第6章 偶然とリズム/偶然性の科学 より)

この本では、貧困家庭やヤングケアラー、がん治療などの個別性を取り上げて、話が進んでいきます。

 

 

わたしは上記の考え方と同じ意見を持っています。

自分の心身の変化の時期を、外から眺めてどうすんだよ、と思っています。

 

先日、53歳で閉経したヨガの先輩の iPhone にあった、最後の1年間の生理カレンダー・メモを見せてもらいました。

その時に、こんなに違うんだ・・・という現実を知ったのですが、こういうことは、本を読んだだけではわからないことです。

統計だとざっくり「50歳前後」なのでね。

あと、こんなに工夫をしていてもこうなんだ、とか、自分と違うこういう生活をしている人でも、こうなんだ・・・というのが、実用的な情報だったりする。

 

 

生きていると、統計情報よりも、身近な n=1 の個人の経験に助けられることがある。

わたしはそういう思いを何度か経験しています。

なので、この本を手に取りました。

 

1020代でそれがわからないのは、無理もないよー。わたしもそうだったし。と思いながら読みました。

 

*1:ほとんど出血しない生理をそう呼んでいます