2023年4月から、かつて小説家で現在は子育て中の専業主婦である女性のPodcast 番組を聴いていました。月に2本か1本のペースでアップされていました。
それが先日急に終了してしまい、さみしい気持ちになっています。
わたしはPodcastで初めてその人を知ったので、最初から「どこかで頑張っている子育て中の女性で、現代小説に詳しい人」という存在。わたしより10歳くらい若くて、彼女のおかげでその世代の東京での結婚・子育て事情を知ることができていました。
人生の小さな判断の背景や思考を、フニャフニャとしたゆるい喋りで聞けるのがよかったんだよなぁ。
ときどき、意図せず核心をふわっと掠めるような話をしていることもありました。
本人はなるべくどうでもいい過去の話の体裁で話すようにしていたようだけど、それが聴き手の誰かのどこかに触れてしまったみたい。
終了のきっかけとなったトピックは「占い」
その話がされた回は消されてしまったのだけど、ざっくり覚えています。
占いの勉強に夢中になっていた過去の自分と、その内面が社会の中で外側に出てしまったときの様子を振り返って話されていて、そこに自覚的になったことで占いから離れたという話でした(と記憶している)。
現在は40代になっている配信者が、若かりし頃のことを振り返って話していました。
わたしはこういう話を自分の経験として柔らかく友人に話すように語られたものを聴けるのが Podcastの醍醐味と思っていて、ひとり語りをひとりで聴きながら「そうなんだよね。論理がしっかりして見えるものほど、それを勉強した人をグル気取りにさせる魔力があるんだよね・・・」と思っていました。
ヨガにも似たところがあるから、わたしは自分の勉強ノートの表紙にこんなポストイットをマスキングテープで補強して貼っているのです。
終了となったきっかけのPodcastでは、まさにわたしのこの気持ちと同じことが語られていました。
そこに触れられたくない人
番組終了(シーズン1終了)にあたって、この配信者は「ひとり語り・ひとり配信」の限界を語っていたのだけど、わたしはまるで小説の一部のラフスケッチを語ってくれるようなこのPodcastが楽しみでした。
これからは消されていない過去分に仄かに残っているエッセンスを探すように聴いてみようと思っています。
その指摘は痛む
この痛みの感覚は、そこを乗り越えた位置から振り返って見ると学びになる。
だけどまだその傷つきの残像を保管しようとしている(ある意味、依存している)段階の人に届くと、精神のコンディションの交通事故が起こる。
こういうことは、まあ少なくない。というかよくある。めちゃくちゃある。あるんだよねぇ。
ご本人が話されていた、「自分が主婦で生活を回すことが中心になって出来事がなくなって、それで内面の話へ寄っていくことになってしまった」という理由は、まあそれもそうなんだろうけれど、それも含めたリアルさが良かったので、やっぱり残念。
40代になってから過去の余剰エネルギーのありさまを振り返って話せる人の話は、本当にためになる。その人は40代の序盤ですでにそういう話ができていて、そこを尊敬していました。
* * *
今年の夏に、その人の小説を大量販売系の古本屋で目にして、ハッとしたことがありました。自称ではなく普通に売れている小説家であったその人のことを、流通で感じた瞬間がありました。
このたびの終了を機に検索し、有名な女優さんが主演し映画化された作品もあることを知りました。
この夏の出来事以来、この作家の小説を読んでみたいと静かに思っていたのだけど、2000年代に書かれた青春小説を現在のわたしがどういうモードで読めばいいのか、なんとなくめんどくさそうで躊躇していました。
これを機に、えいやっと前提条件なしに読んでみよう。これを来年の小さな楽しみにしよう。
* * *
Podcastの番組名をここには書かないけれど、来年のブログの本の紹介に登場することになると思うので、いずれわかります。その際にはこのブログにリンクを貼ります。
(リアルで交流のあるかたで気になった人は、普通にわたしに尋ねてください。ネット上にこの文脈で書こうとしなかっただけで、隠しているわけじゃないのですぐにお答えします。こういうクローズドな感じってなんかいやなんですけど、そうしておきます)