うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

新編 東洋的な見方 鈴木大拙 著(前半)

友人が貸してくれました。鈴木大拙氏の90歳前後のエッセイをまとめたもの。
もしわたしが親の世代に生まれて、当時新聞に載せられたこの内容をリアルタイムで読んでいたとして、この指摘を理解できただろうか。いま60代後半以上の人たちが人が当時これを読んで(当時若者で)、なにを思っただろうか。もしリアルタイムで読んでいた人がいたら、ぜひ話を聞いてみたい。そんな、鋭い指摘のオンパレード。
そして今こそ読みたい内容でもある。アメリカ式のさまざまなことへの違和感について語るときに、いままで言葉にできなかったことが、自分の中で少し整理できるかもしれません。自分が仏教的なものに回帰していくような感覚がある人にとっては、なにかこたえが見つかる一冊かもしれません。
今日は前半から何箇所か紹介します。

<20ページ 東洋的見方 より>
 東洋・西洋というと、漠然としたことになるが、話の都合がよいから分けておく。東洋的見方または考え方の西洋のと相異する一大要点はこうである。西洋では物が二つに分かれてからを基礎として考え進む。東洋はその反対で、二つに分かれぬ先から踏み出す。

そのあと、「西洋式考え方、行(や)り方の行き詰まりを看取せざるをえない」としてこの本がはじまります。
どこに生まれた、育った、親の国籍に関係なく、文化に育てられるアイデンティティについて話している。まずは自分を知ることで、違和感の理由を分解できるようになるみたい。
そして今の時代は「話の都合がよいから分ける」ということでは語りにくいくらい、「合理性」の解釈が個人個人で複雑化している。

<68ページ 自由・空・只今 より>
 よく自由と放逸とを混同する。放逸とは自制ができぬので、自由自主とはその正反対になる。全くの奴隷制である。近ごろのビート・ゼネレーションなどは、これに近い。

(中略)

阿弥陀さまよ、どうぞ自分の煩悩を皆、とってくださるな。これがないと、あなたのありがたさが、わかりませぬ」と真宗妙好人はいうのである。

(中略)

涅槃に入ったり、天界に生まれたりしては、人間の自由はない。人間は煩悩に責められる娑婆にながらえて、「不自由」のなかに、自由自立のはたらきをしたいのだ。ここに人間の価値がある。

【不自由のなかに、自由自立のはたらきをしたいのだ】ビート・ゼネレーションへの鋭い指摘。ジョージがマテリアル・ワールドへ帰ってくる折り返し地点はここにあったと思う。

<71ページ 自由・空・只今 より>
「右の頬を打たれたから左を向けてやれ」というような二元性の論理では、東洋的なるものの根源にふれるわけにはいかない。娑婆がエデンの楽園そのもので、エデンの楽園が、直ちにわれらの日常生活そのものだというところにめざめえないでは、宗教を語る資格がないと見てよいのである。

ズッパリ。大拙氏は全般、「神秘斬り」です。ここが一貫している。

<118ページ 現代世界と禅の精神 より>
禅の無には消極性・否定性・寂滅性・破壊性などいうものは、髪の毛一筋ほども、見つからぬ。無限の積極的可能性を有っているので、いつも「君に勧む更に尽くせ一杯の酒」である。酔っ払って、ぐでんぐでんになる酒ではなくて、陶然として、一日の労を休める一杯である。禁酒家や、戒律などといって固くなっている ── 今はそんな人もなくなったであろうが ── その種の「酒のまずや」はとにかく、われら一般の凡夫には、「無」を謡ったり、「祈」ったりするより、「無」をそのままに行取するところに、また人生の妙趣があるのではなかろうか。

「陶然として、一日の労を休める一杯!」

<126ページ 現代世界と禅の精神 より>
物事を神秘化するのが、禅の能ではない。神秘は哲学や言語学のほうにあるのだ。

哲学や言語学を避けて神秘を語っちゃう? という指摘でもあるかも。

<134ページ 現代世界と禅の精神 より>
 「仮我々」の世界、思議の世界、組織でかためた世界、機会や、概念や、技術や、経済や権力で締め上げた世界の中で、どうにもならぬ「無の極限」の世界がある。がらんどうの世界でない、無限の力をたくわえた不増不滅、不得不失、万徳円満の世界だ。この世界の消息に一たび接しえて、そうしてから、哲学を建立してほしい。政治をやったり、商売をしたりしてほしい。外交の問題、労資の問題、その他一切の組織関係の問題は、刃を迎えて解決できる。
 仏心とは大慈悲是なりである。大智・大悲・大方便、いずれも、「不思議」の底から湧き出る。外向きの進化は、これから内向きとなるにきまっている。

前半でいちばんズドーンと響いた部分がここでした。「無限の力をたくわえた不増不滅、不得不失、万徳円満の世界」。


五木寛之氏のいう「不安の力」も、こういうことだろう。
わたしの感覚では、『般若心経を「明るいもの」と感じられたら、ユーは立派な東洋人だと思うのYO』という思いなのだけど、「般若心経を読んで、元も子もない暗い感じがした」ということであれば、それはもう二元性の森の中で右往左往している状態なのだろう。
静かな仏教ブームを見るとそんな状況ではないように見えるけど、それはわたしに近い景色でそう見えているだけかもしれない。いまの若者たちは、般若心経をどうとらえるかな。「夢がなくなった!」と言われたら、それはそれで微笑ましいことでもあるのだけど。
(追記:後半の感想はこちら

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