古本屋で装丁イラストに惹かれ、立ち読みをしたら「月が話をする」という設定の出だしがとてもおもしろく、続きを読みたくなって買いました。
とても薄い本で、ポンとその辺に置いておきやすく、いまもちょこちょこ開いています。この本のページを開くと、なんとも言えないくつろぎの感覚が起こります。挿絵は一つもありません。
子供の頃に「月がずっと追いかけてくる」と思ったことがある人はとても多いと思うのですが、それは太陽と違って、月は凝視することができるからですよね。
お天道様は見ているというのは一方的で、こっちからは太陽を見続けることができない。そんなのフェアじゃない。
だけど月は目を合わせてくれる。月そのものも、照らされている存在だから。間接照明という絶妙なポジションにいるあなただから、話せるってこともあるのでしょう。
そして月の立場からしてみたら、今日は誰に注目してみようかな、ということでもあるのかもしれない。そんなことはないけれど。でもそんなふうに考えてみると、ちょっとおもしろい。
いまわたしは、アンデルセンが考えたであろうことを、勝手に推測して語っています。
月がもしかしたら、わたしの人生にスポットライトを当てるかもしれない。ふむ。これはなんだか、おもしろい。だけど、人生はおもしろい事ばかりじゃない。かっこ悪いところは照らされたくないな。
この本には三十三夜(=33話)の物語があって、そのなかにわたしは登場しません。そりゃそうよ。昔の本だもの。
この本は月が貧しい絵描きにある日の夜の出来事を話すという設定で、まるで旅をしてきたような口ぶりで、イタリア、中国、アフリカ、インドなど、様々な国で起こる誰かの人生の一場面が報告されます。
完全に大人向けの内容もあって
- 女性に愛されないであろう男の人がやっぱり失恋するのだけど、それはそれでその人の人生になる第十六夜
- 仕事に絶望して死のうとするのだけど感情を爆発させることで死ぬのをやめることができ、でもやっぱり別の日に結局同じ理由で死ぬことになる第十九夜
- ロスチャイルド家の母親の呪いが第三者視点で解説される第二十五夜
のように、人生でままならないことを経験している人のその瞬間を、月明かりが容赦なく照らします。
わー。やめといてあげて。そんな現実を見せられたら泣いてしまうよ。読んだわたしも。
ものすごく悲運に見える物語もあるのですが、これがどうにも、不思議なやさしさにあふれています。慈悲とは、あわれみとは、こういうことじゃないか。けっして慎ましやかではない、ただなりゆきで不運の前でどんよりしている人も、月は見ている。
観音様が優雅な指先で衆生に水を与えるような慈悲もいいけれど、あたしゃ断然アンデルセン派だね! と一気に改宗させんばかりの、なんかすごい愛を感じる。
強い執念を抱く人や、自分の毒が自分に回ってがんじがらめになっている人、神とはほど遠い人間の心を、月は遍くほのかに照らす。輝かしくない人生も、月が静かに見ていている。
よくよく考えると『マッチ売りの少女』も、どこかの国の、どうにもならない少女の人生の心のありようを描いた物語でした。ある人の人生の一場面なんですよね。
▼青空文庫でも読めます
・絵のない絵本 ハンス・クリスチャン・アンデルセン 矢崎源九郎訳
▼わたしが装丁イラストに惹かれて買ったのはこの本です