うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

50代から始める知的生活術〜「人生二毛作の生き方」〜 外山滋比古 著

著者が91歳の頃(2014年)に、仕事や日常からの学びを書かれた本で、元の本は2010年出版。そこに加筆・修正されたものだそうです。
修正にあたって4年前に書いたことを反省し、少し前の過去に言ったことを無理やり押し通そうとしない軽やかさ。後半はだいぶ書き直したそうで、どこか仏教的な感じのする「欲」を掘り下げるような話もあり、4年でも世代の価値観が変化していることを如実に察知されていたのでしょうか。
前半はキレキレで後半はマイルド。この調子の変化も含めて興味深く読みました。


どのトピックもそう考えた理由や実体験がしっかり書かれていて、根本的に「自分で考えて出した結論でないと、人生はぼんやりする」という価値観。
タイトルは50代から始める〜となっていますが、著者には昔から菊池寛の「編集者、三十五歳定年説」が頭にあって、40歳の時にはその年を超えて5年経っていたと書かれています。


中盤に至るまでに何度か「わたしは、中年のころ、仕事に倦み、自分を見失っていたときがあります。」という振り返りがあり、好景気な年代の信じられないような株の話も出てきて、生きてきた時代の違いも感じるのだけど、それでも最初から最後まで少し年上の先輩の話を聞かせてもらっているような感覚で読みました。

 

長年の脳みその使い方を実体験から書かれているせいか、宇野千代さんのエッセイを読んでいる時と似たおもしろさがあります。以下はわたしもそう思うことがあるので、年長者が言い切ってくれると嬉しい。そんな気持ちで読みました。

  • 目的意識が先立つと生理的なリズムが生まれにくい(「ウォーキングの楽しみ」より)
  • 生活から離別した知識は、むしろ考える力を低下させるおそれがある(「自分で考える」より)
  • 「おもしろい本、やさしい本ではダメなのではないか」という勘がはたらく人は優秀(「本当の読書力とは」より)
  • 「Habit is second nature.」(「第二の天性」より)
  • 忘却のはたらきが充分でないと、朝でも頭は重く濁っている(「前向きに生きる」より)

 

本の序盤でも書いてありますが、二期作ではなく二毛作の話です。現役の頃から二毛作を仕込む話なので、中盤までは「定年を迎えてからでは手遅れ」くらいのトーンで突き放されます。
記憶や意識を畑に撒くタネのように捉えて人生を語られていて、序盤は決してマイルドではなく、超自己責任論と捉える人も多いだろうと思います。

 

わたしは生きている時代が違うので、著者のように「閑職に追われる」とか「大切にされない」という感覚すら持たないであろう世代。これから十数年ほどで、ところで自分には、いい時代ってあったっけ? という仲間たちが60代へ向かっていきます。

それでも、過去との差分とは関係なく、どの時代を生きてもその時々で自分が腐らないためにやることは、思考と選択と実行の連続。
この本はわたしにとって、身体と頭の使い方にポジティブなイメージを持てる生きかた説法に聞こえました。