うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

十二月八日/家庭の幸福  太宰治 著

なんでこんなことが起きたのだろう、なんでこんなことをみんなでしたの? という人生経験をまさにしている。
世界大戦以来の世界混沌イベントが自分の生きている間に起こるなんて、それを経験することになるなんて、去年の今頃はまだ気づいていなかった。
今年は戦争時代の民衆・個人の心の様子を描いた小説を読むと、人間の性質について現実と照らし合わせる材料が多く、人間を知るきっかけを得ています。
林芙美子坂口安吾太宰治は高すぎない視点で興味深いことを綴っています。今までは読んでもわからなかった鼓舞のしかた、反省のしかた、立ち回りかた、さまざまなスタンスの違いが、自分も混乱の世に身を置く状態だと以前よりも解像度を細かくした状態で見ることができます。

なりゆきを見守りながら生き残る、そんな状況のなかで個人の生活には楽しみも歓びも憎しみも暴力もあって、そういうことを物語としてパッケージにしたのだなということを、今さらながら理解しはじめています。心の中にあったことを記録するために書かれたものが、50年・60年後にも読まれる。作家の梱包技術はすごいものです。
言語が扱えるだけでは、無数にあるテキストのなかに埋もれる。この人の言葉だから読もうと思わせる、動機を起こさせる著者の人間的魅力の大きさもあらためて感じます。それぞれに反省の力がある。

いまは市井の人があれこれ発信するのが普通の時代になったけど、いま思うのは、新鮮に思える文章はちゃんと意地悪な感情も消化済みであることがなぜかわかるということ。精神的にカマトトぶってないことが伝わってくるから信用できる。都合が悪い状況説明ではユーモアのカードをきってくる。
こういう感じって、どうやったら鍛えられるんだろう。覚悟だろうな。なんてことを最近よく考えます。


そんなことを考えたきっかけは「婦人公論」と「中央公論」に掲載されたという太宰治の随筆を読んだせい。以前の職場の仲間が感想をSNSに短文でアップしていて、さっそく読んでみたらどちらもすぐに読み終わる。なのにとても印象的でした。
以下、感想です。

 

十二月八日

1941年、太平洋戦争の開戦の日のある主婦の日記という体裁で書かれた、女性によるエッセイという体裁でのエッセイ(ややこしい)。
はじまりからいきなり、かなりおもしろい。コントの冒頭で服装から家具まで完璧に期待度満点の見た目で登場した主人公がなにを話しだすのか、それをワクワクしながら待つ感覚のまま、いっきに最後まで読まされます。
皮膚と心」「」のような精神的女装テクニックがはじめから炸裂していて、どう見ても女性にしか見えないかもめんたるのコントのよう。

この主婦のご近所さんとのやりとりのなかに、自分は戦争が大変なことになったという意味で「これからは大変ですわねぇ。」と言ったのだけど、相手は自分が隣組の組長業務で気負っているために「いいえ、何も出来ませんのでねぇ。」と答える会話があって、ああほんとうにこういう感じだったのだろうなぁと、その場面がものすごく身近に感じられました。わたしも隣組の組長(ご近所の避難隊長)になったらきっとすごく緊張しちゃう。
何がどう行われているのかわからないくらい壮大な戦争のニュースを前に、「大変」は個人単位でまったくスケールが違っていて、作家である夫は原稿を仕上げて出版社へ持っていく帰りに朝まで飲むことしか考えていません。
原稿料は妻が郵便局に受け取りにいっていて、出版社名と金額までしれっと書かれています。これはリアルタイムで読んでいたらおもしろい暴露ネタたっだのでしょうか。モノの金額や税率の変化など、主婦の生活語りの体裁で多くの情報が盛り込まれていて、そしてなによりまだ小さな子どもがかわいくてしょうがない母としての心情描写がいい。
この随筆は開戦の当月中に書かれたもので、まさに開戦という時にこんなユーモアを炸裂させていたというのが、なんとも頼もしいです。

十二月八日

十二月八日

 

家庭の幸福

これは1948年の「中央公論」に掲載されたもので、お父さんの目線。子どもも増えています。
ラジオが今で言うテレビのような存在で、当時は街頭録音というのが今で言う街角インタビューで、もし自分が声をかけられたらこう話すという設定で言いたいことを言っている。酒もタバコもたくさん呑んで税金をいっぱい納めているぞ!とか言っている。
おもしろいのはそこからで、政治家の立ち回りについて語っていく。これがなんというか、いまの政治家が庶民にフレンドリーさをアピールするようなああいうことへのツッコミで、そこまでがいわば場を温めるようなコンテンツ。ここから家庭論に入っていくのですが、ここからが本番。
家庭を愛する男の話で、最後はぎょっとさせられます。わかりやすく幸福であるためには他者の不遇を放置することが前提ですが、わかってますよねと言われたような気持ちになります。太宰治SDGsを叫び、サステナビリティを問うてくる。ぎゃー。意識高い系には絶対にならないおもしろ文章なのに、結果的に同じことをやっている。

家庭の幸福

家庭の幸福

 


混沌の時代にどんなふうに視点を定かに生きていけばよいのか、ちょっと自分は相変わらず雑すぎやしないかと思う時にこの随筆を読むと、いい勢いでちゃぶ台をひっくり返される。雑誌連載の仕事でこういうことをしていた太宰治は、その筆の速さも含めて、戦時中に自分の仕事の役割をどう考えていたのだろう。
ちょっと意外な面を見たような、でも意外でもないような。とくに「十二月八日」は、どっこい生きておりますの! って感じがいいなと感じる随筆でした。