句読点のリズムはメンタルの状態をあらわす。わたしは自分の過去の文章を読んで、おっと大丈夫かと思うことがある。過去の自分を診断する。友人からのメールやショートメッセージにも、そういうものがたまにある。
この「HUMAN LOST」の太宰治の文章はかなり乱れている。乱れているのにリズム感にセンスが出てしまっている。才能が漏れている。
昔の人は精神科を「気ちがい病院」と言いますね。わたしの父親もそう言っていました。太宰治は「慢性パビナール中毒症」で板橋の病院に入院していたようで、このテキストにはそこにいる間の日記風の文章が収められています。
シンプルすぎて二度見する文章もありました。
三十日。
雨の降る日は、天気が悪い。
お、おおう。ん? ・・・なんかあるかと思って二度読みしても、なにもない。
冒頭に書いた、乱れた句読点なのに才能が漏れた感じがする文章はこちら。
八日。
かりそめの、人のなさけの身にしみて、まなこ、うるむも、老いのはじめや。
この「まなこ」のあとの句読点! 丸いひらがなが続いている中に差し込む句読点。根っからのジゴロって、こういうとこに句読点打ってくるのよまったく。
そして自分の作品への評価や自分を表面上ちやほやしながら陰口を言う人への言及の場面で、句読点が異様に多くなります。自分の評価に敏感すぎて狂っていく、その狂い始めをナマナマしく見せられたような文章でした。
それにしても、妻に対する語り口が妙におもしろい。
人を、いのちも心も君に一任したひとりの人間を、あざむき、脳病院にぶちこみ、しかも完全に十日間、一葉の消息だに無く、一輪の花、一個の梨の投入をさえ試みない。君は、いったい、誰の嫁さんなんだい。
梨が好きみたい。
パンチのあるワードを差し込んでくる比率に圧倒的なセンスと安定感があるのに、全体的に、ものすごく、不安定。なにこれ。