うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

サキの忘れ物 津村記久子 著

日常の延長にある妄想や冒険が楽しくて、修行のために近所でちょっと変わったバイトを始めてみたくなるような短編集でした。なんか冒険したくなる。
漠然と頻繁に感じる居場所のなさとか、役割をこなしていても別に自分でなくてもいいのよねと思う投げやりな気持ち、それと同時に起こる "世間にはもっと尊重されずに苦労をしている人もいるのだから" と自身を横着者扱いして責める気持ち。そういう気分をちょっと横にのけてくれるような展開。
この小説は閉塞感のなかでふいに意外な流れになる外部接触エピソードが楽しい。心が、久しぶりに換気した部屋のようになる。

 

書かれているのはよくある善意とよくある悪意で、善意の話は思わず涙が出るし、悪意の話は読みながら防御反応が自分のなかで起こる。すべてのいきさつを読み終える前に「ああ、いるねこういう人」と心の中で受け身の姿勢をとる。
よくある悪意はよくある悪意。だからまあ乗り切れるといえば乗り切れるけど、積載量が増えればそれなりに疲れる。かといって善意で包囲するルールになると、それはそれでさらに息苦しい。


ひとつひとつの物語を振り返ると、「サキの忘れ物」は人を信用することにするきっかけの陰陽が描かれていておもしろいし、「王国」の子ども特有の身体宇宙観や思考描写には、中勘助の(「銀の匙」の)ようなデッサン力を感じる。
ペチュニアフォールを知る二十の名所」ではどんどんその世界に吞み込まれて海外小説を読んでいるような気分にったし、「喫茶店の周波数」のようにキャッチしてしまうおもしろ生情報は、実際誰もがこんな感じでうわぁと思うことをひと月にいっぺんくらいはこなしているんじゃないかと思った。
「Sさんの再訪」はむこうから久しぶりに声をかけてこられる時のいやな予感をあぶり出す方法が、そうきたか! という感じで途中からすごくおもしろい。「行列」は思わせぶりな話だけれど、この思わせぶりはいい。「河川敷のガゼル」は多摩川のたまちゃんを思い出す。間違ったかのようにたまたまここにいる所在なさったら!
「真夜中をさまようゲームブック」では、わたしは4回死んで2回ゴールした。ものすごくおもしろかった。「隣のビル」は、もともとこの作家の書く小説ってこういうかんじだったよね、と、精神的社畜な感じを久しぶりに思い出して、最初に読んだ物語に似た印象で終わった。


文章のトーンは全部同じなのにどれも性質が違っていて、掲載する媒体・想定読者のゾーンの違いでこんなに違う話が作れるなんて…と、職場のデキる人のプレゼンを9社分立て続けに見た後のような気分にもなって少し圧倒された。

 

サキの忘れ物

サキの忘れ物

  • 作者:記久子, 津村
  • 発売日: 2020/06/29
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)