うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

近所でボヤ騒ぎ。眠れなかった夜に思ったこと

先日、深夜に近所でボヤ騒ぎがありました。
夜中の1時半ごろに外が物々しくなって、消防車のチカチカする赤い光がカーテンの隙間から入ってきました。

え? すぐそこなの?! と思って起きたら、消防隊員さんの姿が暗い中でもわかるくらい、目の前で起こっている出来事でした。

 


こういう時って、放心するんですね。

 


とりあえずメガネをかけて、電気をつけずにカーテンの隙間から様子を伺いました。電気をつけたら「避難のために外へ出てください」と言われるかと思って。心の準備に時間がかかりました。

 


外では消防隊員さんの話し声が聞こえます。しばらくして「外から侵入します!」という声が聞こえ、急にドタバタと動きが始まりました。
避難してくださいと言われないのが不思議だな……と思いながらカーテンと押入れの間を小さく往復し、なんとなく靴下を履こうとしたり、服を選んだり、逆に布団に入ろうとしたりしながら(なんで!)、文字通りパニックになり、オロオロしました。

 

 

しばらくして、急に静かになりました。
経緯はわかりませんが「調理で発生した火で……。撤収します……。通報者へは……(以後聞き取れず)」という、近隣住民への説明なのか、内部指揮としての伝達なのか、どちらとも取れる話が聞こえました。拡声器を使っていますが深夜なので小さな声です。

 

 

そんなこんなで騒ぎが収束しました。
ただ平凡に生きているだけでも、いろんなことがあるものです。
わたしはこういうことについて他人事と思えない経験があるので、当事者たちがなにごともなかったように過ごせればいいと思いました。心の平穏を祈るような気持ちです。

 

 

その日は朝5時から支度をして出かける用事があり、悶々としたまま無理やり寝ました。
もともと22時半には爆睡に入っていたので、ボヤ騒ぎで起きた時点で脳のレム睡眠は足りていたみたい。アラームで起きる前から頭は半分起きていて、久しぶりにヘンな夢を見ました。
え? 自分はこんなことをこんなに気にしているの? と思うような、直近のニュースや身近な人の出来事をごちゃ混ぜにして日替わり定食にしたような夢です。

 

 

ボヤ騒ぎのこともしっかり覚えていました。特に眠くなることもなく一日が過ぎました。
眠れる時に寝ておくって、だいじですね。

 

 

この夜のゴタゴタで、穏やかな睡眠が日々の記憶の整理・癒しになっていることをあらためて実感しました。
眠りが浅いと、小さな恐怖や自分を責めるようなコンテンツが浮き上がってきます。
わたしは子供の頃から、直近で見た物語が別の設定で展開される、そういう夢の現象に関心がありました。『太陽にほえろ!』でボギーが白い上下のスーツで刺されると、わたしの夢では近所の神社で世良さまが刺される。
水曜スペシャル』でターザンの謎を追った映像を見れば、近所の悠久山からターザンが逃げ出したことが町で騒ぎになり、わたしがひとりで留守番をしている家へターザンが玄関からやってきます。ピンポンは鳴らさないけど、ドアを叩いています。ガラスの窓は破ってこない。意外と良識のありそうなターザンに、もしかしたら応じるべきなのかと戸惑う子供のわたし。

 


こんなふうに、直近に見たコンテンツと日常を混ぜた夢を見るのが、子供の頃からずっと不思議でした。
目が覚めていく過程で、自分で編集していたのだという自覚も同時に起こってくる。

 

 

それから何十年もして、インド思想にある意識の四分類(覚醒位・夢眠位・熟眠位・第四位)を知ったときには、自分の経験が当たり前のこととして論理立てて述べられていて驚きました。
そこからヨガニードラやシャバ・アーサナを考えつくインド人を尊敬するようになりました。

 

 

そんなこんなで、わたしはヨガを始めてから、睡眠についてよく考えるようになりました。
いまは、毎晩マウスピースをして寝ています。
入眠はお風呂上がりの40分後以降、あるいは夜のヨガやストレッチで少し内側を燃やして体温が下がるタイミングにしています。

 


夢や眠りについて、これまでもあれこれ書いてきました。
今回のボヤ騒ぎのように、自分が小さくパニックになるたびに、「意識のやすらぎ」の大切さを感じます。