友人の勧めで観ました。得体の知れないウイルスの登場によってあらわになった人々の意識について、お互いに思うことを話した時に教えてもらいました。ものすごく響きました。
誰かを悪者だということにしたい、自分よりも社会的に害のある存在を決定づけたい、なんなら嘘でも仕立てあげたい、とにかくそういうことにしたいんだ!!! という方向へ走る人の感情を目にした時、どう振る舞うべきか。その状況とどう付き合えばいいのか。
その噂話、自分が今ここに存在しているだけで、メンバーに含まれてしまいますか? いまわたし、もしや言質取られてる展開ですか? 高校生の頃は、地元を離れたらこういうことから解放されると思っていました。けれどそんなことはなくて、大人になってからも、環境を変えて変えての繰り返し。
それに気づいてから、わたしは自分の中の差別感情や区別の欲を常に見るようにしています。
この映画は、弁護士である父親が「人を理解するには、その人の靴をはいて歩け」という教えを身を呈して子供に教え、しかも教えられる側の子供がそのために危険な目にも遭う、ものすごい話です。
(この映画の背骨的テーマであろう「人を理解するには、その人の靴をはいて歩け」は、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』にも出てきたので少しだけ知っていました)
子供たちが主人公でほのぼのしているのに、かなりどぎつい隣人ホラーでもある。途中からはもう怖すぎる展開です。怖い人の存在感は、『シャイニング』のジャック・ニコルソンとほぼ同等かそれ以上で、いやはやすごいものを観てしまいました。
最初に見たときは冗長に感じられた法廷シーンも、二回観ると父親である弁護士のやりすぎない理知的な言いかたが気になります。これがこの人の抑制なのかと思わせる。
DVで自尊心を削られた人が自我をなんとか保つためにする妄想(自分につく嘘)も、セリフでわからせてくれる。現代のようにDNA鑑定のない時代に家庭内の暗黒面を会話だけで類推させる脚本ってすごく難しいと思うのだけど、証言者が複数連続で話すことによってあぶり出されます。
どこまでもすばらしくモヤモヤさせてくれる映画。裏テーマは「妥協」。普段からよく話している友人と感想を話してみたくなる物語でした。
<余談>
この映画を観たら、学生時代にCDを買ってよく聴いた The Boo Radleys を思い出し、あの Boo がこの Boo であったことに驚きました。粋なことをするバンドですわ。