うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

僕は君たちに武器を配りたい 瀧本哲史 著

約10年前の本。資本主義社会ってこういうことですと教える内容で、いま読むと「第7章 本当はクレイジーなリーダーたち」で語られるカルロス・ゴーン氏の描き方がそのとおりでおもしろい。

「ビジネスモデル」とはふつう、企業が利益を生み出すための商売の仕組みのことをいう。しかし現在では、個人の働き方においても自分の「ビジネスモデル」を環境の変化に合わせて変えていくことが求められるのである。
(第5章 企業の浮沈のカギを握る「マーケター」という働き方/個人の働き方にも重要なマーケティング的発想 より)

 社会に出てから本当に意味を持つのは、インターネットにも紙の本にも書いていない、自らが動いて夢中になりながら手に入れた知識だけだ。自分の力でやったことだけが、本物の自分の武器になるのである。資本主義社会を生きていくための武器とは、勉強して手に入れられるものではなく、現実の世界での難しい課題を解決したり、ライバルといった「敵」を倒していくことで、初めて手に入るものなのだ。そういう意味で、ギリシャ神話などの神話や優れた文学が教えることは、人生の教訓を得るうえでも非常に有効だと私は考えている。
(第9章 ゲリラ戦のはじまり/奴隷の勉強、自由人の勉強 より)

「夢中になりながら手に入れた知識」という書き方がいいな、と思いながら読みました。楽器のケースに入って国外に脱出する方法なんて、どこにも載ってない。そういう読み方をすべき本ではないのだけど、つい。


この本には、ここを読めただけで大収穫と思う記述がありました。
日本人は投資に対しての理解が浅い、その理由として「投資」と「投機」の区別がないことについて言及されている部分です。

「投機」とは要するに、利殖のみを目的に、一獲千金を狙って行う賭け事だ。

(中略)
 それに対して、「投資」は、畑に種を蒔いて芽が出て、やがては収穫をもたらしてくれるように、ゼロからプラスを生み出す行為である。投資がうまくいった場合、誰かが損をするということもなく、関係したみなにとってプラスとなる点が、投機とは品質的に異なる。また投機が非常に短期的なリターンを求めるのに対して、投資は本質的に長期的なリターンを求めるところも大きな違いだ。
(第8章 投資家として生きる本当の意味/「投資家のあたま」で考える習慣をつける より)

ヨガ教室の説明文を読んでいると、「投資」の要素の説明をしようとしているのに、いつの間にか「投機」を刺激するフレーズの分厚いパンでサンドイッチした仕上がりになる。それはまさにこれ。区別がない。「区別がない」と言い切られたことで妙にスッキリしました。

 

ニュースや情報の受け取り方、読み方、そしてそこに書かれない情報にはどうアプローチしたらよいか。わたしもピリッとせにゃいかんなという気持ちになりました。

僕は君たちに武器を配りたい

僕は君たちに武器を配りたい