見そびれていた映画をインド往路の飛行機の中で見ることができました。
女性の月経がインドでどんなふうに禁忌として見られているかがよくわかる、それでいて重い気分にさせないビジネス物語。生理用ナプキン(パッド)を開発する男性の物語です。構成が本当によくできていて、パットの威力を始めて感じるエピソードがすごくいい。
禁忌の文化が女性の健康を奪っている現状と、自分が毎月出ていくコストの発生源になるなんて耐えられないという女性の罪悪感がものすごくリアルに描かれている。この感じって、なんだろう…という気持ちになる瞬間がたくさんありました。
「毎月55ルピーも自分のために出費が発生するなんて、ありえない! わたしはここで、じっとしていればいいのだから!」と強く拒否反応を起こす妻の気持ちを何度も反芻しました。
この妻の拒否反応がすごく気になって、この映画を見たというインド在住の日本人女性と話をしました。
この映画は実話がもとになっているのですが、この物語の実話当時の感覚(20年前~30年前)だとして、昔はチャイが3ルピーだったって聞いているから(今の四分の一くらい)…。などと試算してみると今の感覚で毎月200~300ルピー? 金銭感覚には差があるけれども、そんなに申し訳ないと思う値段だろうかと。
それよりも、値段も含めてこの映画が示しているのは
毎月発生する禁忌案件で周囲に負担をかける存在になること
この罪悪感。そういうこと?
映画の中で描かれる、男性がその案件に関わろうとすること事態に対する家族や近所の村人の反応がすごいのです。狂人扱い。
文化の差・地域の差・男女の役割と金銭感覚の差…。それらはどれも不浄観とがっちり鎖でつながっている。さまざまな要素が織り込まれ、ものすごく身近な背景に迫っている。
人は変化を求めもするけれども嫌いもするから、「そういうもの」と固定化することで考えないようにしていることがたくさんあります。それを変えようとする動きを見たときに、どういう態度をとるか。
この物語は時代の流れのなかでの人の態度のありようを描いているだけなのだけど、きっと大切なのは「女性の健康寿命を男性が動いて変えようとした」という事実。
わたしはこの物語に出てくる女性たちの、周囲に負担をかけることが面倒くさくて古い慣習に乗っかり続けて思考をシャットオフする、そういう気持ちかすごくよくわかります。わかるからこそ、すごく沁みた。
大切な人に健康でいてほしいという願いに立ちはだかる障壁。ただの慣習の善悪じゃ語れないことを、エンターテインメントで掘り下げる。インド映画って、こういうところが独特なんですよね…。サタジット・レイの「大都会」という映画でも似たことを感じたけれど、深く、そしてうまくえぐる。
女性が毎月「存在しない前提」かのように暮らしている日があることを知って主人公が驚く場面は、いまでもとても印象に残っています。「ありえない…」と思ってもその感情の存在自体が圧倒的に孤立している感じ。知らないほうがよかったことから逃げない主人公の姿は勇ましいけれど、同時にその情熱に嫉妬する。なんとも複雑な感情が沸き起こる映画でした。
▼高田馬場の早稲田松竹で上映ですって! 今月よー(6月22日~28日)
▼DVDも出ています