目と頭のエネルギーの使い先をリストラせにゃいかん年頃になりました。今年、本とビールの消費がものすごく減りました。
ビールは外で月に2、3回飲むことがあるくらい。家では飲みません。それまでは黒糖焼酎のお湯割りを飲むことがありましたが、ちょっと怖いくらい頭痛がするようになり、怖くて飲めないのです。まだまだ習得したいことがあるので朝に頭痛がするのは困りもの。もともとワインとウイスキーは飲めず頭痛が起こりやすいのですが、ビールも苦手になってきたことを今年認めました。
読み物は、外国のもの・外国人が作者のものを読めるようになってきたので日本のものが減りました。
違う日常・文化・思考に意識を重ねられるようになってきて、近頃すごく読書が楽しいです。以前は「メリケンの人さ考えるごとはよぐわがらね!」みたいな東北のおじさん的拒絶が自分の中にあったのですが、いまは「原語だとどういうトーンなのだろう」なんて想像しながら読むのが楽しくなっています。
こういう感じになっていくのに、7年くらいはかかっています。少しずつ細胞が入れ替わっていく感じ。お酒のほうは、いわゆる「つきあい」のない生活になってから頭痛がするようになりました。頻度が下がれば筋力が落ちるように。以前は頭痛すら自分の作り出す幻で消すことができていたのかもしれません。順応という幻。
7年前の東北おじさんはいまのわたしの状態を全く想像していなかっただろうし、いまでもまだそのおじさんが残っていてお酒をちびりとも飲まなくなっていく自分をつまらない奴とも感じています。
が、この年齢になると、かつてありえない飲み方をしながらモーレツに働いていた同世代の人が病気になっていくので、心理的になんらかのブレーキがはたらいているかもしれません。毎朝コツコツ進めたいことや毎朝練習したいことがあるので、それが無理発見器のように機能しています。
そんなこんなで、友人宅にステイするときもお湯割りで飲める焼酎ボトルを入れるのであります。