うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

ガンディー 獄中からの手紙 ガンディー 著 / 森本達雄 翻訳


すばらしい一冊。訳者さんの力量とその配慮の微細さに感動しました。この本は二つの意味で良書です。
ひとつは、文明化社会の中で培われていったガンディーの思想を理解するための書として。ユーモアや表現力も伝わってきます。もうひとつは、ガンディーによるバガヴァッド・ギーターの解説書として。
わたしはマヌ法典を読むまで、ガンディーの

カースト制度による身分の上下や職業の貴賤には強く反対したが、ヴァルナ制度にもとづく職業の継承は、むしろ社会秩序にとって不可欠であると考えていた(P99:注釈)

という思想がよくわかりませんでしたが、ギーターと同時代にあそこまで詳細にヴァルナの事項の定められた書物があったと考えると、ガンディーの思想のおとしどころのようなものが深く沁みてきます。日本では「神の子」という言葉が教科書の中で使われたことで、「一面が端的に刷り込まれていたな」とも思いました。
「差別と区別」について、どれだけ自分の視線の偏りと照らし合わせてみることができるか。二元論を超えていこうとする思考。この本ではその部分への言及は一部ですが、他宗教も含めたインド全体最適(しかも規模が莫大)への挑戦という感じで、どこまでもエゴを削ぎ落としていく言葉が続きます。
「十 寛容即宗教の平等(一)」という章にある

寛容という語には、他人の宗教が自分のものより劣っているといったいわれなき思いあがりが含まれています。

という鋭さのほか、始終このような調子で続きます。


この本は、まえに感想を書いた「ガーンディー聖書」と重複する手紙も多いのですが、訳者さんの挟む解説が素晴らしいです。
【】が、訳者さんによって添えられた解説です。注釈とは別に、本文を補完する形で添えられています。少し紹介します。

<35ページ 四 嗜欲(味覚)の抑制 より>
理想のほんとうの意味を理解し、それがいかに困難であろうと、理想に到達しようと不退転の努力をすること、これこそがプルシャールタ(purushartha)、すなわち人間の(生存の)目的です。【このばあい、プルシャ(purusha)という語はたんに人間を意味するのではなく、語源的な意味に解さなければなりません。(プラ pura 肉体)にやどるものが、プルシャです。わたしたちがプルシャールタという語をこの意味に解釈するなら、それは男性にも女性にもひとしく用いることができます。】

「プルシャ」は微妙に違う意味が多いのですが(ヴェーダの時代だと「原人」だったりする)、名詞として男性形の「プルシャ」という語ひとつに、この解説。ありがたい本です。



社会背景を含めた解説もあります。

<58ページ 八 不可触民制の撤廃 より>
(「このようにして、不可触民制の害毒も、いまや(この国の)生活のあらゆる領域に食いこんでいます。」という部分への補足分より)
【わたしたちは不可触民制の種々誤まれる観念のために、果てしなく繰り返す沐浴や、特別食の準備などに追われて、ほとんど自分の時間すらもてないほどです。うわべは神に祈っているようなふりをしながら、その実、わたしたちは神にではなく、自分自身に礼拝をささげているのです。】

外から見ているだけだとわからないもの。



冒頭で、この本は「ガンディーによるバガヴァッド・ギーターの解説書としてもおすすめ」と書きましたが、こんな訳・解説・注釈のある手紙があります。

<109ページ 十六 スワデシー=国産愛用 より>【】内は訳者補足
そうなればこそ、『ギーター』はこのように言うのです ── 「スヴァダルマ【swadharma 自己の義務】を遂行して死ぬのがいちばんよい【ナヴァジーヴァン版では「死ぬほうがよい」】、パラダルマ【paradharma 他人の義務】を闘うのは危険をともなう」と。この言葉を物質界に当てはめて考えると、それはスワデシーの法を教えています。スヴァダルマについて『ギーター』の言うところは、ひとしくスワデシーにも当てはまります。なぜならスワデシーは、身近かな環境に適用されたスヴァダルマだからです。


<この部分についての訳者注釈>
「スワ=スヴァ(swa)」は、もともと「固有の存在、個人の精神的傾向、本性」などを表わす哲学用語であったが、のち、一般に「自分(たち)の、固有の」といった意味に用いられるようになったという。「デシー(deshi)」は「土地、国」の意であるから、これら二語の合成語「スワデシー(swadeshi)」は、「自国の、土着の」ということになる。(以下スワデシーの解説はベンガル分割案への反対運動との関連性も記述されています)

ガンディーはこのように実践に紐づけたんですね。
(これは第3章35節。まえにわたしが不定期でやっているギーター会でも同じ節の「swadharma」について語り合ったことがあります)



不盗への言及も、たいへん現代的。(ガーンディーの思想も、訳も)

<42ページ 五 不盗 より>
 不盗の原理を守る人は、将来手に入る物について思いわずらうようなことはありません。将来についての取り越し苦労は、多くの盗みの根っこに見られます。わたしたちは、今日ある一つの物を所有したいと願うだけですが、明日になると、それを手に入れるために、あれこれ手段を講じはじめます ── できれば、正直な手段をと願うでしょうが、切羽つまれば、不正な手段に訴えることもあります。
 有形の物と同様、アイデアも盗みの対象になります。(以下アイデア泥棒の罪について続きます)

「将来についての取り越し苦労は、多くの盗みの根っこ」というのは、将来の安全安心を商品化して売られているものに手を出すマインドへの、鋭い指摘。

薄い本ですが、かなりどっしり、ずっしりと濃い。ガンディーがギーターの教えをどう実践していったか、という実録としてすばらしい読み物と思います。