うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

お母さんと、既婚女性と、独身女性と、わたし。

わたしの住まいには、いろいろな立場の人が来ます。
ふだんお母さんをしている友人が泊まりに来ることもあります。いっしょに喫茶店のモーニングへ出かけると「他人の作ってくれた朝食の、なんとおいしいことよ…」と言うので、「あなたは毎日、ほんとうによくやってるよ…」とちびまる子口調でしみじみします。思春期を含む三人の男子のお母さんをしている人がわたしの住まいで寝るときに「女の人の匂いしかしないのって、いいねぇ」とつぶやいたのを聞いたときには、なにを言い出したのかと驚きました。洗剤のCMのお母さんの表情の意味が少しわかったような気がしました。


わたしはそういう面で経験の少ない人生を送っているので、来てくれる人から教わることがとても多いです。
ヨガをしている人にはわたしの書棚がたいへん人気ですが、そうでない人には「こんなに本があるのに、暇つぶしに読もうと思うものがひとつもない」と言われます。たしかにそうだなと思い、刺繍の本レシピ本を一冊ずつ買いました。


わたしの住まいで「◯◯は、どこにしまってあるの?」とよく聞かれるのは衣類と調理道具で、「こんなところに◯◯が!」と言われるのは音楽CDと帽子。衣類と調理道具は少ないと言われ、帽子は多いといわれます。本は意外と少ないと言われますがKindleにはたくさん入っています。帽子は冬になると3つにいっきに減ります。
住まいの中身の構成というのは不思議なもので、所属・関係する組織の風潮に大きく左右されるもの。いろいろなところから脚抜きをして、はじめてわかりました。なのでモノが増えることについてあまり急いで自分を律するような考えかたを強くする必要はないように思います。
人には漠然とした所属欲求があって、それに向けて漠然とした準備をしているような、そんなところがあるように思っています。その漠然とした所属欲求が、社会常識から外れないためのブレーキにもなってくれていると思うのです。


いまわたしは太陽族なので帽子が多い生活です。10年前はその日の天候を半分も知らない、トータルで20分くらいしか日光に当たらない一日が連続してある、そんな生活をしていました。近ごろやっとその生活を振り返れるようになりました。なのでモノが増える気持ちはわかるのです。(練習族になるといつでもマットを敷ける場所を住まいのなかの各所に持ちたくなり「空白スペース」が多くなります。ゆえに断捨離できているっぽく見える)
家族の多い人はその人数分だけ漠然とした所属欲求の準備の品を抱えているわけなので、今後どんな仕事に就くか、どんな組織に属すかを考えていくお子さんのいる家庭では、断捨離の三文字によって自分や家族を責めるような気持ちを持たず、可能性を感じながら楽しくやったらいいじゃないと思っています。職業を継いでゆく家の風習のなかであればモノが少なくできるのでしょうが、いまはそういう社会でもないですしね。