うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

アイドリングのない状態での発進と、やさしい運転

今月のはじめに、2年ぶりに再会したヨガ仲間といろいろな話をしました。
コロナ禍と言われていた期間に見たいくつかのコミュニケーションの引っかかりについて話し、同じように考えていたことがあってなんだかホッとしました。


そのかたは地方の大都市にお住まいで、わたしは東京に住んでいます。
地域と生活スタイルに違いがあるなか、それぞれがこの期間に同じように考えていました。日常会話で起こる、自分の心の中で感じる小さな衝突のことです。

 

ウイルスに対する認識がそれぞれ違うなかで、日常では「そうですね」「うんうん」と会話を流しながら、”この人はそう考えているのか・・・” と、そっと胸の中にしまう断定のストックが溜まっていく、あれをストレスにしない方法のこと。
所属の重なる場所にいたり一緒に住む仲間・家族でない限り、日々コミュニケーションをとる友人知人は、そんなに多くないもの。久しぶりにいきなり話せば、むむむと思う発言も耳にします。

例えばわたしの場合、ここ一年半の記憶のなかで、以下の発言は引っかかるものでした。

 

 

  「さすが、ここに来ている人はみんな不織布のマスクをしていますね」

 

 

これは昨年、緊急事態宣言があけてしばらくしてから数人で集まったプライベートな場でのこと。
世間でウレタンマスクや布のマスクをする人が増えはじめ、マスクの値段が高騰していた頃に比べたらずいぶん気楽になったものだ! くらいの時期。
その場にいた人のマスクが全員が不織布だったのは、 “たまたま” でした。なのでこの発言を聞いた瞬間、「さすが」という言葉で強調しようとするやり方に、昭和の学園ドラマのPTAか!と、嫌悪感を抱きました。

 


この反応は無駄な悪感情です。こんな時こそ、打ち消す技術の使いどころ。

ヨーガ・スートラの第2章33節・34節の教えが生きる場面です。

 

 

このような日々の葛藤を経ているので、ヨガの勉強をしている人に話を聞いてもらうと「 ”この人はこういう人” と決めつけるのも、また自分の心だからねぇ」と、ただ同じ考えを繰り返してもらえるだけで、心がラクになります。
わたしはこの日、そのかたが言ってくれた ”アイドリングなしの状態で話してるわけだから” というやさしいフレーズを何度も繰り返し口にして、自分の中に刷り込みました。

その言葉を繰り返していると「日々考えを擦り合わせていれば起こらないことが、ただ起こっただけなんだ」と意識を切りかえることができます。

 

それにしても。
久しぶりに会う間柄でのコミュニケーションのアイドリングって、だいじですね。
ブログの発信は一方的ではあるけれど、この場に自分の日々の考えを書いていることが、その日の再会トークのアイドリングを兼ねてくれました。
書き続けててよかった。今日も読んでくださり、ありがとうございます。