うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

逆さに吊るされた男 田口ランディ 著


なにかに寄り掛かりたいと思うような状況が断続的に重なったりして、そんなときにまるで引き寄せかのように感じられる文脈で共同幻想を提示されたら、誰だって入信する可能性はあるよね。わたしはあらゆるカルトに対してこのようなスタンスでいます。この小説は、没入への段階を描く手法としてそのグラデーションをまっ白からスタートして限りなく黒に近いグレーまで行って戻ってくる。読みながら「そうきたか!」と引き込まれました。


チャクラやクンダリニーの話もこってり出てきて、ぜんぜん引いてない。ぜんぜん引きのスタンスじゃない。いままでオウム真理教関連の本をいくつか読んできたけれど、ここまで引かないスタンスのものを読むのは初めてです。
終盤の振り返りは途中まで「繰り返しが長いな」と思ったのだけど、最後まで読むと2回きっちり往復することに意味があることがわかる。そんな構成。信者にしてみれば自分がその共同幻想にコミットする瞬間をふりかえるというのは確実にしんどい作業だろうし、狂いの瞬間としてそれを見極めるのはむずかしい。それを、作者がやっている。


え? 作者がやっているの? それはどんな展開? というのは読めばわかります。
師弟関係や組織の病理を描いた要素は、これまでにほかの本でも読んできたけれど、今回とても大きな発見がふたつありました。


その大きな一つは、ダサさの許容のプロセスを掘り下げていること。
わたしはオウム真理教の活動をテレビで見ていた頃、その歌も踊りも「東京にはこんな学芸会のようなことをしている大人がいるんだ…」と思っていました。まだそこに異常さを読み取る知識もなかったし、精神状態の揺れなんかもまったく知らないスポ根・高校生でした。不気味だなとは思いつつも、ひょうきん族でやっているものをアマチュア版で見せられているかのような、そんな感覚でいたのです。その感じを、この小説では見る側・見られる側の両面から掘り下げられています。
これらの要素を追っていくと、わざわざやったことを無駄にしてがっかりする気分を乗り越えるかを試す、マルパからミラレパへの修行のやりかたの別バージョンにも見えてくる。「ダサさ」という屈辱は、そう考えたら肉体労働的な修行よりも効率がよいといえば、よいのです。この小説は「ダサい、恥かしいと思うことがエゴ」という文脈の強力さをありありとみせてくれます。



もうひとつは、シヴァ神の至高シヴァ化(シヴァ大神化)という、バガヴァッド・ギーター15章17節のような理論展開と "お告げ" のミックス感が「ヴァジラヤーナ」であったこと。もともとシャクティ・パッドなど、シヴァ派のヨーガ教典にあるようなことをやっていたのは知っていたけれど、さまざまな教典にあるテンプレートを細かくどんどん取り入れていくことのすごさを、主人公がオウム真理教の広報誌を読みこんでいく場面でみせてくれます。



え、これ小説でしょ、フィクションでしょ?! と思って読むにはすごくひとつひとつのトピックが具体的で、これまでに読んだどんな本よりも教義のミックスの巧みさが伝わってくる。外箱のお弁当箱はフィクションだけど、ひとつひとつの教義のおかずはフィクションじゃないような…。
木田さんという人の語る以下のセリフはあまりに、身体的にリアルです。

「オウムの信者は、みんな霊的なエネルギーが欲しかったんです。霊的なエネルギーを切望していました。オウム真理教は、ひたすら霊的なエネルギーを欲している者たちの集団だといっていいくらいです。井上嘉浩さんなんて、すごかったですよ。修行のとき、お願いです、エネルギーを入れてください、って叫んでいました。それが、オウムなんです。オウムのことは霊的エネルギーのリアリティがないとわからないと思います」
(34より)

「霊的エネルギーのリアリティ」を自然現象のひとつとしてカウントできないほど気持ちが盲目になるときって誰しもあると思うのだけど、多くの人は他のことに置き換えて考えてみたりする。これは手作業や運動の習熟プロセス、恋愛初期の没入と同じかな…、と思いなおす。でもその体力すらないときも、瞬間的にはある。照らし合わせる経験が少なければ、その確率も高まる。ここを読むと、その気持ちや高揚感ってアントニオ猪木にビンタされにいく人たちと変わらなくない? と思えてきます。



この本を読むと、オウム真理教が「そりゃそこでそんな商売を始めれば売れるだろう」というようなものに見えてきます。たとえば「日本ではじめてカツカレーを考案して一財を築いた人はもともと世田谷区・桜新町駅前の喫茶店で始めたのだが、スタートから数十年の間にものすごく栄えた。その駅から大学を行き来する日本体育大学の生徒のクチコミから火が付き…」というような物語のように見えてくる。この小説は仏教とヨーガを併せて絶妙な広がりかたをしたオウム真理教の "カツカレー感" のようなものが、とてもリアルな心理描写で解説されています。
消費者目線のような共感視点で読みすすめることができる小説。少し変わったスタンスですが、これは有効な視点であるなと思います。


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