うちこのヨガ日記

ヨガの練習や読書、旅、生活、心のなかのこと。

脱・成長神話 武田晴人 著


成長神話というのはどういう経緯で成り立っていたのか、ということを知るのにとてもよい本でした。
わたしは団塊ジュニアといわれる世代ですが、自分の親世代の人たちが家庭を持とうと思ったり家を買おうと思ったり車を何台も持とうと思ったり海外旅行へ行こうと思ったりした社会というのはどんなものであったのかを「三島由紀夫と楯の会事件」を読むことで想像してみたり(縦の会の人が親とまさに同じ時期に同じ世代で東京にいた人)、「人間失格」を読みながら振り返ってみたりしています。
そうでもしないと、ふと自分の状況と折り合えない気持ちになることがあるのです。なんでいま自分はこんなふうに生きているのか、環境のせいだとも教育のせいだとも、わたしの心が格別に濁っているからとも思わないんですよね…。思いたくない、のほうが精確かな。



 心根のところで物質的な幸せをそんなに楽しんでいなかったけれど、
 それはさておき物質的な幸せのインプットを受け続けた。社会のムードによって。



そのプロセスが、この本を読んだらわかりました。そしてたぶん、このループは2周目。親の世代が10代のころにそれが始まって、わたしたちは2周目のバトンを受けた。で、ちょっと走ってはみたのだけど半分くらいで「ところでこのバトンもらいたい人、いるんだっけ?」となっている。ふと自分の状況と折り合えない気持ちになるときに発動するのは、まさにこの気持ち。
この本を読みながら、いままで漠然としていたこの流れを冷静に、現実を見る感じで追うことができました。わたしは以下のあたりがとても気になりました。

 強気の経済政策が受け入れられた背景には、池田内閣が1960年の安保改定問題で激しさを増した保革対立という国内政治の構図を宥和する必要があり、そのために国民の関心を政治から経済へと切り替えることが必要だと考えていたことがあります。
第2章 日本の高成長とは何だったのか?/完全雇用を国際競争力の二つの目標 より)


世界ではすでにさまざまなタイプの製品群が並ぶ「フルライン」に変わっていましたが、1960年頃の日本は40年くらい送れて耐久消費財の単体大量生産の時代に入ったのです。横並びの消費といわれた背景には、耐久消費財が次々と家庭に入っていっただけでなく、ほとんど同じ製品だったことが基礎にありました。
第2章 日本の高成長とは何だったのか?/機械工業が重要な三つのポイント より)


高度経済成長期に戦後のベビーブームの世代が若年労働力として追加されたことが、この時期の経済成長にプラスになったことは、「人口のボーナス」として指摘されています。
 しかし、生産年齢人口比率は大幅に減るとされる2020年の予測値でも、長期的に見たとき、1950年の水準に戻るに過ぎないのです。このことは見過されがちですが重要な事実です。
(第5章 経済成長の可能性を考える 3 ── 高齢化の意味/生産年齢人口比率の減少は、大きな問題ではない より)

漠然と"老人になったらのんびり暮らせる。敬われながら" というイメージが刷り込まれてきた世代の人たちは不安だろうと思います。でもわたしの世代は冷静な人も多くいます。年齢を重ねること・のんびり暮らすこと・敬われることをそれぞれ別のことと認識して、それぞれへの対処を考え目標を立てる。漠然と想像する余裕がないってのも、悪くない。



20年くらい社会人をやると、いろいろなことが具体的なコミュニケーションから見えてきます。わたしがリアルにそうであるなと感じたのは、このようなところ。

グローバル化という言葉は、世界が一つになりつつあることを象徴するような変化を連想させます。しかしその実は、世界が異なる国々の異なる生活条件にバラバラに引き裂かれていることを前提にして、その差を企業が利益追求のために利用することを意味しています。
(第5章 経済成長の可能性を考える 3 ── 高齢化の意味/賃金引き上げは輸出を阻害するか? より)

日本語の話せるIT業種のアジア人とやりとりをしていると、自分よりも何倍も優秀で、なんか生きててすみません…という気持ちになることがあります。自分が格差を利用して生きているだけであることを思い知らされ、打ちのめされるような。それに加えてさまざまな宗教観・道徳観の理解の必要性という難題がどっしりとあって、いかに日本人同士だけで通じる仁義が世界の中では不義理(唯物論的)とされるものであるかを思い知る。そこでまた、なんか生きててすみませんという気持ちになる。この反省のループはとてもつらいのですが、でも見なかったことにして歩き続けるほうが悪手であることも知ってしまいました。



原発・電気の部分は、表にあったインドと中国の数値と比べるとどうしてもあの大気汚染のイメージが身体的にくるので、すこし心理的にブレーキがはたらきますが、以下はわたしも同じように考えていました。

原子力発電所の再稼動が盛んに問題になっていますが、それより優先すべき事項があります。それは廃炉にかかわる技術の蓄積です。すでに稼動年数の限界に来ている原子力発電所もあり、政府の方針に沿って進めたとしてもいずれは廃炉しなければならないものが順番に増えていきます。
(第3章 経済成長の可能性を考える 1 ── 変わるエネルギー事情と資源の節約/ツケはみんなで払う より)

このあと「後始末に必要な技術的な知見を実地に積み上げていくこと」の重要さが説かれていますが、ここが見えないために口をつぐんでいる人って実際多いのではないかと思います。
わたしはいまの住まいにわざわざ機械の取り換えにまで来てもらって20Aにしているのですが、初期設定値を変えるにも手間がかかる世の中になっていたり、数値を可視化して共有することに積極的でなかったり、そこには「ずっとこうやってきたのだろうな」という様式の力を感じます。処理のしかたも含めて全体を資源開発技術だと思えればわたしは賛成する考えを持てると思うのだけど、全体としては感情で評価する人の多い国風(社風のような意味で)なので、様式の力がはたらいてしまう。



資源節約と単価の関係について正確に評価できるモノサシを持つべきだという考えは、寄付に対してピーター・シンガーという人の考えるそれと似ています(参考)。ただ日本でそれをどうするかというと、日本人の心理を踏まえて実行に移すことのむずかしさも感じます。
幼い頃から「おしん」と「ハワイ」のような対極のダブル・スタンダードのなかであれこれ考え、いまヨガに辿りついている。そんなわたしのような人に、この本はおすすめです。


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